カリーパンの趣味備忘録

視覚から得る情報の雄弁さは計り知れない。

「神様になった日」 7話感想―卵の殻(世界)、内から割るか?外から割るか?

神様になった日 7話。6話にて登場したCharlotteの高城君ですが、話題性の確保のみが狙いではなく、案外テーマ性に連結があるのかな、と思わせる挿話でした。
まず今回の話を自分なりに解釈するにあたって流石に触れておきたかったのが、本話中でひなが歌唱していた麻枝氏作詞・作曲の「Karma」。ここでまた安定の謝罪となりますが、麻枝信者ではない故楽曲の存在すら知りませんでした(教えてくださったTwitterの皆さんありがとう)。しっかり楽曲を鑑賞してきました、とりあえず歌詞をお借りします。

作詞・作曲:麻枝准 編曲:ANANT-GARDE EYES 唄:Lia

卵でさえ上手く割れない そんな不器用なきみなのに
この世界を救えるという その身を犠牲して

今では誰もがきみのこと まるで英雄のように見立てて
きれいな服を着せたりして はだしのまま逃げてくる

何もできないきみだって 僕は好きなままいたよ
運命というものなんて
信じない いつだって 理不尽で おかしくて
きみだって 笑ってやれ こんな理不尽を

寄せては返す光を背に 楽しげにきみは歌ってた
波音を言い訳にしても 音はとれてなかった

きみからはすべてが欠けてて それゆえすべてと繋がれる
いのちになれるということ 僕もいつか気づいてた

贅沢なんかいわない 悲しみだって受けるよ
だから君という人だけ
ここにいて ずっといて 僕から 離さないで
どんなことも恐れず 生きていくから

初めて見せるような顔で きみは歩いていった
その運命を果たすために

何もできないきみだって 僕は好きなままいるよ
運命というものなんて 僕は決して信じない
卵も割れなくていい いくつでも僕が割るよ
歌が下手だっていいよ こうして僕が歌うよ

Requiem for the air Requiem for the river
Requiem for the wind Requiem for the light
Requiem for the forest Requiem for the sun
Requiem for ther land and the ocean

Requiem for the heaven Requiem for the heaven
Requiem for the heaven
僕は走る
Requiem for the heaven Requiem for the heaven
神をも恐れず

 一旦歌詞は置いといてまず本編、前半は劇中劇を制作するシークエンスと、これまた物語における世界の二重構造を彷彿とさせる内容でした。余談ですが、毎回TVゲームシーンを必ず挟むのも意図的でしょうね。と、そんなTVゲームシーンにて早くも確信めいたセリフが飛びます。

伊座並「なぜ分子レベルで崩壊したものを、わざわざ再構築してあげるの?」

―神様になった日 7話より 

 うーんここにきて量子力学、「ノエイン」やら「ゼーガペイン」をおっぱじめる気か?とも。ともあれ量子力学による存在証明、Charlotte 1話でも語られていた「我思う、故に我あり」、デカルト方法序説だろう。自分自身を含めた全てのものが偽りのものであったとしても、その疑っている自分自身の存在を疑うことはできない。「STEINS;GATE」でいうアルパカマン(1話より)が考えとして近いですね。

こういった点を踏まえた上で見返す7話ファーストカット、被写体深度*1を転換させる演出で、金魚(≒成神たち)が鉢(≒仮想世界)からみた世界のぼかしを表していたようにも思える。金魚鉢の側面は屈折しているから金魚は外界が歪んで見えているが、金魚と自分たちの見ている世界が違うからといって、それが観測上のリアリティーの証明にはならない(自分たちもまた、歪んだフィルターを通して世界を観測している可能性を否定できない)。

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金魚→成神への意識的な被写体深度の移行

そういった不確定な世界に生きる中でも、ひなから成神への意識変化は間違いなく本物だったのだろうと思わせる、一連のシークエンス。こういった意図的なアイレベル*2の下げ方や丁寧なひなへの芝居付けなども、そういった想いを印象付けるようなフィルムのように映りました。

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PANダウンからの、口元の芝居がまた良い。

ここでKarmaの話に戻ります。歌詞としてはよくある献身やら自己犠牲やらの絡む、所謂「セカイ系」の物語。しかし、今回の挿話と結び付けるにあたって、やはり外せないのが「何もできない君だって 僕は好きなままいるよ <中略> 卵も割れなくていい いくつでも僕が割るよ」の一節でしょうか。メタファー的には、ここでいう卵の殻は世界そのもの、繊密なセル画によって不愛嬌に描かれていた散乱する卵の中身はひな自身(名前の由来は鳥の「雛」から?)、と個人的に捉えました。

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この辺りまで連想してまず最初に浮かんだのが、ヘルマン・ヘッセ 著、「デミアン」の有名な一節。

 「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。

  生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。

  鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという」

(『デミアン高橋健二訳)

 このフレーズはいわゆる「自己変革論」、自分を囲う殻(自閉的な世界)を自ら破壊せよ、と説いている。それに対し「Karma」の歌詞では、「割れなくていい、僕が割るよ」というように、他者からの手助けという外的要因が提示されている。おまけに「何もできない君だって、僕は好きなままいるよ」というデミアン完全否定付きである。

 

もちろんどちらが正解とも言えないし、どういった思想がバイブルとなるかは人それぞれだけども、少なくとも成神が世界を犠牲にしてひなを救う、騎士道精神(ちょっと違うけど)的な話になるのかな、と勝手に予想。メタフィクション構造は好みだけど、どうも面白いと言い切れないのが正直なところ。遂に半分もきって、ぼちぼち大きく舵を切りだすところではないだろうか。

 

©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project

*1:写真の焦点が合っているように見える被写体側の距離の範囲のこと。アニメでは主に、ピントの合わせ方を指す。

*2:人が立った状態での目のあたりの高さ。ここでは、カメラを構える位置(高さ)を指す

「神様になった日」5話―死後の世界に陶酔する人、引き戻す麻枝准

こんにちは。
神様になった日」5話、この辺りで確信めいてきましたが、どうやらストーリーラインの整備より、麻枝准(以下敬称略:だーまえ)氏が、言いたいことを作品に乗せるのを先決としているため、メタ目線で鑑賞すると楽しい作品かな、と思えて来ました。勿論今後の展開にもよりますが。「ヴァイオレット・エヴァーガーデンを思い出す」旨の感想をよく見かけましたが、個人的には「週刊ストーリーランド」の挿話の一つ、「天国からのビデオレター」に酷似しているなと感じたので、レンタルなりして鑑賞することをオススメしておきます。

 

週刊ストーリーランド ベストセレクション(1) [VHS]
 

 

さて、まず今回でビビっときたのが、オカルト&超常SFでも鉄板ではあるのですが「生者と死者のダイアローグ」という一連のシークエンス。生者と死者の交信なんて、これもうAngel Beats!ですね、分かりますってなっちゃう早漏っぷり。人によって何を感じるかはそれぞれなのでご愛嬌ということで(笑)。

閑話休題、まず「いや、死者はひなが演じた偶像ではないか」という点ですが、自分はこの点に対してあまり問題視していません。というのも、Angel Beats!での死の描写のライトさからも分かるように、だーまえの死生観というのは「死から何を生かすか」だと考えてる。結果的に伊座並家が「本物」のメッセージを受け取るわけだし、件の通話シーンもそのきっかけに過ぎないと思うのでアリかなと。

というわけで通話シーン、ここで重要なのが、ひなが「電話ボックス」で通話している点。神様になった日の世界は現実と仮想に乖離している、という考察をされている方をよく見かけていて個人的には肯定も否定もしていなかったのですが、このシーンで上記考察がより現実味を帯びた気がします。

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数年前に日本でリバイバル上映も行われた快作「マトリックス」、その際にTwitterにて行われた一般公募キャッチコピーの企画で、マトリックスの新キャッチコピーとして「電話ボックスまで逃げろ!」となりましたが、本作では現実世界と仮想世界を繋ぐパイプとして電話が用いられます。神様になった日5話における生者と死者の世界という二重構造に通ずるものもありますし、マトリックスでは「現実への帰還」の際に電話ボックスを利用するため、今作も似たような演出意図があったように思います。Angel Beats!は死後の世界が舞台の作品ですが、よく「Angel Beats!の続編は作らないのか」旨のファンコメントを見かけます。自分はABが好きだからこそ続編はあるべきではないと思うし、P.A.WORKS×Key新作発表のネット特番の際もこういったコメントで溢れる事は十分承知していたので、チャットはオフにしてました。今回の話は、そういった「死後の世界」に陶酔し切った人々に喝を入れる挿話に感じました。

ともすればそう解釈できる点を、フィルムの絵づくりからも感じました。Angel Beats!の世間一般でいう名シーンでは、そもそも基本的な舞台設定が屋外ですし、夕焼けをモチーフ的にした逆光の構図は、図ったかのようにエモーショナルな情感を映し出していました。ああいった切なさに振り切った演出は、言葉の綾ではありますが「死後の世界からの今生の別れ」を表しているように感じました。

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さり気なく対比になってるのがまた。


対して今作「神様になった日」5話では、舞台背景が家庭内であり、かつ日中の出来事だから日光がそのまま順光的にキャラクター達を照らす。伊座並母の「忘れて、処分してね」というセリフも象徴的で、そんなことは不可能であるとわかったうえで、死を意識するのでなく今ある生を享受して欲しいというメッセージに感じました。だからお墓参りのシーン挿入、またメッセージ処分について明示しなかったのも正しいと思う。

 

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伊座並自身の描かれ方も、凄くフィルムとしてよかった。今回の絵コンテは篠原俊哉さん。例えばこういった、伊座並の表情芝居を際立たせるような、動的なトラックアップ*1演出。篠原さんはCharlotte 12話「約束」の絵コンテも担当されていますが、この回でもラストカットが特に印象的で、乙坂の視点を意識した動的なPOV*2演出。空を映すだけならPANアップ*3でもよさそうな気がしたのですが、あえて動きを付随する。両回とも特別動きの多いシーンはなく、どちらかというと静的なフィルムだったんですよね。だからこそ一貫した静寂を崩すような演出は、キャラクターたちの心情に寄り添うような、非常に印象的なカメラワークに感じました。

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伊座並の電話シーンの、自然と手に力がこもったり不意に立ち上がる感情芝居、ラストシーンで肩呼吸をする芝居の繊細さなんかも、Angel Beats!ラストの音無の芝居なんかを思い出してセンチメンタルな気分になりました。

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そして終始伊座並が下座(左側)、成神が上座(右側)で描かれていた物語も、ラストの会話シーンで遂に想定線(イマジナリーライン)を逸脱する。二人の関係性は進展せずとも、伊座並の確かな変化が描かれていて良かったです。

 

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伊座並が上座側へ、変化の象徴

神様になった日ネット特番にて、石川由依さんに対して「好きなアニメで出演されてたのチェックしてました」と興奮気味にだーまえが仰られておりましたが、今回の話を見た限りだとやはりヴァイオレット・エヴァーガーデンのことだったのでしょう。ただ一見オマージュ的なフィルムでも、伝えたかったことは全く違うのではないか、というのが今回言いたかったことです。こういったメタフィクション的な構造を続けていくのだろうか、というのは一つの疑問ですが。とはいえ、かの幾原邦彦氏も、セーラームーン世代を夢から目覚めさせるために筆を執るように、自分が伝えたいことをある程度作品に乗せるのもありだとは思います。ともあれ今回の話は、ある種Angel Beats!のアンサーフィルムのように感じ、興味深いものでした。

 

©VisualArt's/Key ©VisualArt's/Key/Angel Beats! Project

©VisualArt's/Key/Charlotte Project ©VisualArt's/Key/「神様になった日」 Project

*1:被写体にカメラが近づく技法。T.Uとも

*2:ポイントオブビューの略。主観カメラ。一人称的カメラ。

*3:カメラを上に振る、縦移動。ティルトと同義。

「神様になった日」3話感想-麻枝准のメタ的セルフデプリケーション・ユーモア

こんにちは。

まず初手謝罪になるのですが、自分は麻枝准氏(以下敬称略:だーまえ)の作品に多く触れてきたわけではありません。本作のキャッチコピーでは「原点回帰」と銘打たれておりますが、あくまで自分にとってだーまえの泣きの原点は「CLANNAD」であり、彼が失敗作と語る作品が「Angel Beats!(以下AB)」「Charlotte」であるという前提で感想を展開していく旨、ご了承くださいませ。

 

本作「神様になった日」の第3話は、AB 3話やCharlotte 3話が物語の大きな転機だったにも関わらず、終始コメディ描写に徹していました。今後展開していく作品の転機における準備段階、日常の強調だとは思うのですが。
閑話休題、まず第3話で印象に残ったのがサブタイトル「天使が堕ちた日」。天使と聞くとやはりABを彷彿とさせますし、ABは天使という「神様の使い」を描いた作品で、本作はタイトルからしても「神様そのもの」を描いた作品ととれる。つまりこの第3話で、ABに対する何らかのアンチテーゼ(堕ちたという表現から)が提示されることが予想できます。

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それを踏まえた上で本編、ラーメン屋の再建記が描かれますが、そのラーメン屋の廃れた理由の一つとして「調理過程に過度なこだわりがある」という要素が挙げられました。ABはバンドやアクションシーンなど多彩なエンタメ性を含ませた作品でしたが、まさにこの旧ラーメンと重なります。神様になった日公式サイト「ゲームクリエイターがアニメに挑戦し続ける理由」にて、だーまえはこう綴ります。

『神様になった日』も、最初の原稿は上手く書くことができず、ひどい状況でした。周りの意見を聞いても、とても商業作品として通用する出来ではない、という辛辣なものでした。
それでも、可能性のようなものは感じてもらえたのか、「これは面白くなる」と言って良くしようとしてくれる方たちが現れました。
その人たちこそ、監督を筆頭としたアニメスタッフの皆さんです。

引用元:SPECIAL | TVアニメ「神様になった日」公式サイト

この話は、執拗にラーメンの調理過程にダメ出しして、不必要な拘りを捨てさせる陽太の描写と重なります。

そして情熱大陸のパロディを思わせる陽太へのインタビューシーン。「インフラが発展したことにより、ブランドのデフレが起きる」旨の台詞。作品の質の拮抗&量が増えていく中でのだーまえの葛藤を想起させる。このメッセージ性はフィルムの中でも象徴的に表れているように感じて、「堕天使?もうただのヤケクソだよね」という台詞に合わせて我武者羅に走る陽太をフォロー演出*1で映し続ける描写は、手前の金網の閉塞感も相まって、だーまえというクリエイターの葛藤や苦悩が如実に投影されているように感じてならない。日常シーンの「お祭り騒ぎ」感と対照的だから尚更ね。

 

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メタ的だーまえの化身。

個人的にAngel Beats!はかなり好きな作品でしたが、独特のテンポ感や死生観の描き方は視聴者を選ぶものだったのは間違いない。けど合う合わないは人それぞれだし、気負いすぎなんだよなぁ、といつもだーまえ作品を見ていると感じてしまう。

一連のラーメン屋再建記シークエンスを俯瞰していた新キャラ・鈴木君の「くだんねぇ」の一言も象徴的でしたが、こういった一種の自虐&アニメーション業界への警鐘を笑い話(コメディ)として落とし込むあたりも、彼の作家性が非常に前面に表れていて、個人的には好きな回でした。頑張れ、だーまえ。今後の展開を楽しみにしております。

 

©VISUAL ARTS / Key /「神様になった日」Project

*1:被写体の位置は固定、背景を動かす手法

2020/7-9月期終了アニメアンケート

アニメ調査室(仮)(@ani_chou)さんの企画。初参加。総括としてとても良い機会だと捉えているので、次回以降も積極的に参加していく所存です。

 

2020秋調査(2020/7-9月期、終了アニメ、42+3作品) 第58回

01,うまよん,x
02,天晴爛漫!,F
03,ジビエート,x
04,デカダンス,S
05,あひるの空,x

06,戦乙女の食卓,x
07,異常生物見聞録,x
08,バキ 大擂台賽編,x
09,アラド : 逆転の輪,x
10,彼女、お借りします,B

11,ド級編隊エグゼロス,F
12,放課後ていぼう日誌,A
13,魔王学院の不適合者,F
14,食戟のソーマ 豪ノ皿,x
15,ハクション大魔王2020,x

16,宇崎ちゃんは遊びたい!,F
17,とある科学の超電磁砲T,x
18,モンスター娘のお医者さん,x
19,ノー・ガンズ・ライフ 第2期,x
20,ピーター・グリルと賢者の時間,x

21,文豪とアルケミスト 審判ノ歯車,x
22,恋とプロデューサー EVOL×LOVE,x
23,テレビ野郎 ナナーナ 怪物クラーケンを追え!,x
24,やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完,A

25,THE GOD OF HIGH SCHOOL ゴッド・オブ・ハイスクール,C

26,ソードアート・オンライン アリシゼーション War of Underworld 最終章,x
27,ガンダムビルドダイバーズRe:RISE 2nd Season,x
28,ムヒョとロージーの魔法律相談事務所 第2期,x
29,Re:ゼロから始める異世界生活 2nd season,A
30,Lapis Re:LiGHTs (ラピスリライツ),x

31,フルーツバスケット 2nd season,x
32,富豪刑事 Balance:UNLIMITED,F
33,GETUP! GETLIVE! #げらげら,x
34,ポータウンのなかまたち,x
35,忍者コレクション,x

36,GO! GO! アトム,x
37,エッグカー,x
38,(特番) 巨人族の花嫁,D
39,(特番) オオカミさんは食べられたい,C
40,(地上波初放送) 無限の住人 IMMORTAL,F

41,(地上波初放送) 銀河英雄伝説 Die Neue These (邂逅 / 星乱),x
42,あの世のすべてはおばけぐみっ!,x

参考調査

t1,(参考調査) ULTRAMAN,B
t2,(参考調査) HERO MASK,x
t3,(参考調査) A.I.C.O. Incarnation,F

※Fは、多忙等の理由も込みで見切った作品で、評価ではありません。今後空き時間に見るかも

{寸評}

S

デカダンス

かなり粗削りな面もありましたが、メッセージ性に関しては一貫していて、真っ直ぐな作風が好みでした。保守派と革新派の対比を画の構成すら用いて表現する、立川氏の技量は素晴らしかった。
システムを再編していくラストも印象的で、システムにおける解放と束縛のバランスはSFひいては現代において永遠のテーマですが、矛盾をはらむため描写が難しい。本作はその辺の落としどころが巧かったです。詳しくは「The Stanry Parable」というフリーゲームをプレイしていただきたく(宣伝)。

A

放課後ていぼう日誌

陽渚の主体性の進歩を丁寧に描いた作劇でしたが、部員メンバーの雰囲気然り、変に説教臭くないのがまた良い。やっぱり部長が好きかなぁ。

やはり俺の青春ラブコメは間違っている。完

思い出補正込みなところはある。中学時代から見ていた作品だった故、最後を見届けることができた幸福感と、果たしてあれを最後としてよいのかという気持ちのジレンマ。

Re:ゼロから始める異世界生活 2nd season

単純にループ作劇が大好きなのもあるけど、構造に奥行きを出しつつ謎を開示したり隠したり、のバランスがいい。ところでレムちゃんはいつ頃お目覚めに。

B

彼女、お借りします

1話、12話は随一の出来映え。書きたいことは別記事に書き連ねたので、そちらを参照のほど。

karipan.hatenablog.com

 

ULTRAMAN

うーん、ウルトラマンに影響を受けたエヴァ、に影響を受けた作品って感じ。主人公を幼く描いて、親の理想と対比的に描くところとか。3DCGのアクション、モーションキャプチャ技術の進化を肌で感じて圧巻でしたし覚醒までの流れも良かったですが、掘り下げが浅い。続編に期待

C

THE GOD OF HIGH SCHOOL ゴッド・オブ・ハイスクール

物語として中身がすかすかすぎる、名作の継ぎはぎが名作にはならないことが、身をもって証明された。最後まで作画リソースが途切れることなく、戦闘シーンが描かれていた点には感心

オオカミさんは食べられたい

僧侶枠、そろそろ謎の光でいいと思う、隠すにしてもせめて。このヒロインのキャラデザイン、どっかのラブコメに逆輸入しませんか(提案)

D

巨人族の花嫁

ホモ要素は苦笑しか出ないおぞましさであったが、下手な異世界転生なろうより芯はあった。と勝手に感じてる。

{総評}

完走9作品。今期はとにかく、某ゲーム&配信者にハマってしまって切った作品が多くなってしまった。特に天晴爛漫や富豪刑事は気になっているため、時間の合間に見ると思う。デカダンス、自分の感情的にはSとAの間くらいで迷いましたが、S枠がないのはあれかな、ということでこの位置。コロナ延期の影響もあり続編系の布陣が強いクールでした。特に俺ガイルやリゼロは、感想クラスタ界隈に入り込む以前から見ていたこともあり、思い出補正込みとはいえ十分な満足度。
次クールも、気になる作品が多く楽しみです。

ポケモン×BUMP OF CHICKENのMVに見る、多層的な虚構性

こんにちは。
今週の記事はかのかりの雑感ブログだけかな、と思ってたんですけど、昨日のポケモンダイレクトを見ていてもたってもいられなくなったので、こうして文字に起こしております。言わずもがな、ポケモン×BUMP OF CHICKENのMV「GOTCHA!」についてです。

https://youtu.be/BoZ0Zwab6Oc

いやー、やっぱポケモンのコンテンツ力&キャラクターの魅力はバケモンですわ。絵コンテは「シュガーソングとビターステップ」等の松本理恵さん。舞台演劇を意識した視線誘導だとか、ダンスシーンだけでキャラクター性を雄弁に語るコンテを描くのが印象的な方でしたが、本MVでもその利点が存分に発揮されていたと思います。

まずは冒頭、名作「スタンド・バイ・ミー」を思わせる、線路を歩く四人の少年。ポケットモンスター赤・緑において主人公宅のテレビ画面でもオマージュを確認することができますが、即ち画面の中での出来事、「虚構」であることが印象づけられます。

 

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四人である点からもBUMP OF CHIKEN感凄いけど、違います(笑)

少年・少女(≒我々)は目覚めて、ジムリーダー達をバックに、ポケモンという一つのコンテンツの過去を振り返るように下座(左側)に向かって歩き出す。ここで印象的なのが、こちら側を元気づけるように和気あいあいとしたジムリーダー達なんですが、少年・少女を挟んでモニター越しなんですよね。「ゲーム・アニメの中においての人物」であることを印象付けると同時に、少年・少女が現時点では現実であるように描写されます。ここ大事。

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ゴーストタイプの可愛さ異常。



ここの一連のカットつなぎで特に印象的だったのが、少年の服に映る青空が、そのまま次のカットの背景となって、少女のカットへ移行。時・場所は不一致ですが、類似の被写体を用いてカット転換を試みる「マッチカット」手法。とても遊び心か感じられ、思わず面白いな、と感じました。この辺りは映画「パプリカ」のOPにふんだんに用いられている手法なので、要チェックです(パプリカみとけば大体の演出技法学べて便利すぎる)。

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少し飛ばして、歴代チャンピオン&主人公&ライバルがダイジェスト的に流れるシーン。流れるような躍動感と圧倒的画力、おそらくですが中村豊さんが原画を担当されたシーンでしょうか。ここが涙腺のウィークポイントであり、感動した場面でした。ゲームで体感した名場面が即座に頭の中でリフレインし、叙情的に感情が沸き上がる。キャラクターの表情に寄るカメラワークからカット転換するのですが、それぞれの表情が全く違うのが印象的で。特にBWの描写に感じたのですが、それぞれの場面における熱い感情が流れ込んでくるような、シリーズ毎の時の流れを否応にも実感させられるような、そんな至福のカットでした。

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「このおれさまが! せかいで いちばん! つよいって ことなんだよ!」


ここのダイジェストシーンでも、少年・少女のカットが繋ぎとして挟まりますが、ここでの画面構成も、虚構性を強調するようで象徴的。ガラスを隔てて描かれる少女、あくまでポケモンとは「フィクション」であり、私たちは「現実」を生きるわけで。この境界の存在を執拗に描くのには理由があって、そのあたりはまた本稿の終盤で、自分なりの解釈を。

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手前のガラスは、ガラルのスタジアムかな?

 


そしてラスト、個別に描かれていた少年・少女が遂に邂逅する。最近はネットワークの普及による通信プレイ幅の広がり、更にはポケモンGOのようなアクティブなコンテンツ等、「みんなで楽しむコンテンツ」を売りとしていますが、まさにそれを体現したかのような、メッセージ性の強いシーンのように感じられました。また、モニター越しに見守るかのような、博士たちの視点の描写が一瞬挟まるのも良い。現代の少年・少女の成長に少しでも携われたらいいな、という、開発側の母性のようなものを感じ取れました。

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博士視点。

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ウツギ博士笑う


そしてMVも終盤、少年・少女が歩く道こそが物語になる、と言わんばかりに冒頭「スタンド・バイ・ミー」のオマージュと重なる。と、ここで爆弾が放り込まれる。残すところ制作スタッフさんのクレジットロールのみか、と思ったところ、一人の人物がうとうととして見ているスクリーン、そう、本MVである。そこ(MV越しのMV)に当然と言わんばかりにクレジットロールが流れる。そうつまり、少年・少女の世界でさえ、我々からしたら「虚構」だったのだ。

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おそらく「夢」として描写されるワンパチ。

そもそも虚実の境界は矛盾している

しかしそもそも、虚実というのは曖昧なものである。アニメや映画を含めた様々な創作(嘘)が、世の中(現実)にあふれているように。ポケモンというコンテンツに白熱していた本MVの少年・少女も、映像の中の人物とはいえ、彼らが自分たち(コンテンツを楽しむ人)のメタファーであったことは明白。その事実を咀嚼したうえで見直してみると、例えばジムリーダーをバックに少年・少女が歩くシーン、ジムリーダーたちが「フィクション」、画面越しの我々が「現実」とすると、少年・少女は「半虚構」に介在しているといえる。まるでポケモンという世界観に没入しきっている、我々の象徴のように。

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なにこの分かりやすい絵。



また、例のマッチカット直前のシーン、ラストのうとうとさんも映っているのだが、半虚構であったことを踏まえると、まるで少年がフィルム(ポケモンの世界)の中に入っていくかのように描写されている*1

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ここですここ。



それを裏付けるのが、イーブイピカチュウのキャラクターデザイン。かなり特徴であり、まるでポケモンじゃないような。それもそのはず、ポケモンではないからだ。…とはいいすぎにしても、我々は決してポケモンそのものには触れられないのは事実なので、ポケモンというコンテンツそのものを意味した虚像だったのでは、と勝手に考えてます。

ポケモンは世界中から愛され、様々な人が「体感」するコンテンツになった。ポケモンから楽しさを得ている我々は、最早世界観に没入しているも同義だ、という素敵なメッセージビデオに感じました。

 
© 2020 Pokémon. © 1995 - 2020 Nintendo/Creatures Inc./GAME FREAK inc. TM, ®, and character names are trademarks of Nintendo.

*1:入る前は、うとうとさんと同じ世界、つまり現実

「彼女、お借りします」の憎めない美点

こんにちは。
今期放送が終了した「彼女、お借りします」。皆さんの感想を読んでいると、かなり綺麗に(?)賛否両論な印象。というのもこの作品、大まかな不満点はおそらくみんな一致してると思うんですよ。実際自分も、不満点、もしくは感情が入りきらなかった点は、感想を読んでてとても納得しました。
しかし、自分は最後まで割と楽しく見れていました。それは声優さんの名演だったり、キャラクターデザインの魅力だったりが第一としてあるわけですが、もっと部分的に「おっ」と感じるシーンもあったり。
作品への不満点を挙げた感想をよく見かけるからこそ、本稿では良かった点、好きな点をまとめてみました。一応前提として、原作未読です。拙い文章ですが、よろしゅう頼んます。

 

1話と12話(最終回)の演出について

 1話・12話・OP・EDの絵コンテを担当されている、本作の監督でもある古賀一臣氏。彼が絵コンテを担当された部分は突出して好きで、OPについてはTwitterの方で触れたので参考までに。

 閑話休題。一話アバン、「俺は木ノ下和也、」というこの作品における第一声と同時に始まる歩く描写、どこか大らかさを感じられる足元の芝居。そして直後、和也のモノローグと同時に映し出される口元の歪みのアップ、この10秒弱で、仕草も合わせたかなり濃密な「自己紹介」をしたと言える。

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今作を「キャラ紹介アニメ」と評している方が数名いてかなり納得していたんですが、思えば上で挙げたようなカットも、そんなかのかり一期のストーリーテリングを象徴するかのようで。尺の都合上、二期以上の構成にすることは、早期の段階で決まっていたのかもしれませんね。プロット構成の巧さが、絵による演出として表れていたように感じるシーンでした。そういえば11話アバンも、先に挙げたシーンに似たような構成でしたね。墨ちゃんえっt…可愛いですね。

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2期での活躍を期待しております。

そして12話。やはり注目したいのが、歩道橋の上でのワンシーン。歩道橋は人生の交差点の隠喩とも言えますが、少なくとも今後の彼ら・彼女らを左右する場面であったことは間違いない。基本的に表情芝居の読み取りやすい寄り気味のカメラワークで会話が進みますが、和也に対しての気持ちを問いかけるシーンでは、キャラの心情に呼応するように、カメラが一気に引く。麻美からの問いかけの際、攻守逆転するかのように、イマジナリーラインを跨いで上座・下座(左右)が反転するシーンも印象的でした。

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千鶴の「あなたはどう思ってるんですか、和也さんのこと」と、麻美の「あなたは?」の計二回、カメラの引き


また、会話の終わりに挿入された、和也の号泣を収めたハーモニー処理(止め絵演出)。差し込まれた段階では演出意図が謎で混乱しましたが、終盤パートを見るに、和也の千鶴に対する気持ちに改めてスイッチが入ったことを印象付けるカットだったのかなと思います。

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伝統ある出崎演出。


そして一番印象的で思わず「カッコいい!」と感じてしまったカットが、1話と12話で対比的に描かれる、タイトルバコーン!!のシーン(語彙力)。特に注目したいのが1話の方、ダッチアングル(斜めに撮られた構図)が関係性を象徴するようで。目線は合ってるんだけど、千鶴が上側に来ている斜めの構図から、関係の不安定感が否応なしに表れている。自分は特別ラブコメが好きなジャンルというわけではなく切るときは切るのですが、まずここのカットで惹きつけられ視聴確定。で、12話。和也が上座(右側)、千鶴が下座(左側)と、1話と逆転の構図となっている。

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このカットで決まって挿入されるthe peggiesさんの楽曲の素晴らしさもさることながら、引き締まった構図・対照性の美しさは、思わず感情が揺さぶられました。1話で魅せてきただけに、2~11話はどこか緩慢な心持ちで見ていましたが、ラストでまた引き締めなおしに来た構成は見事。

 

人間味の強い表情芝居について

キャラクターの表情芝居にも感心する点があって。例えば和也、まぁ基本的には欲丸出しのゲスい表情が一番多いんだけど(笑)。その次に多いのが、全話を通して見られる、喜怒哀楽のどれにも該当しないような、こんな表情。

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それぞれ3話、11話より


例えば自分なんかは、考え事に頭を巡らせ意識が飛んでるときとか、大体こんな感じの表情になってると思うんですよ(笑)。本作を見てるときも、考え事に頭が巡って内容が右の耳から左の耳に流れかけることなんかもありましたが、こういう表情が挟まる度に、自分の気が抜けていたのを自覚して、自然と緊張したものです。かなりリアルで、人間味のある表情なんですよね、とにかく。欲に忠実かつ後から後悔・反省する和也。彼が作劇を不評たらしめる最も大きなファクターであり不誠実極まりない態度だが、同時に正直な証拠でもあり。こういった「エゴと自己嫌悪のサイクル」も表れている気がして、とても雄弁な表情芝居だなと。

そんな彼の表情の中でも特に好きだったのが、4話のラスト、海に飛び込み千鶴を助けるシーン。トラックアップ(カメラのじわ寄り)で和也の表情に寄るカットから飛び込むまでの一連の流れが描写されていますが、バックに流れる焦燥的な劇伴と対照的に、「考えるより先に体が動いた」ことが分かる自然な芝居が至高。彼の手から自然とスマホが滑り落ちる描写も、反射的に体が動いたことに関して付随する描き方をすることで、より説得力を持たせるようで良い。

 

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好きの反対は無関心。正直言って好きにはなれないキャラでしたが、この表情が挟まる度に、「どんなことに考えを巡らせ、どう立ち回るのか」に興味・関心がわいてしまう自分がいて。彼は嫌いなキャラではありましたが、それは少なからず我々俯瞰者の自己投影が介在しているわけで、こういった人間性に憎めない点はありました。



まぁ、あと強いて言えば、「俺ガイル」と同時期放映だったのもでかかったような。個人的には俺ガイルの方が作品満足度は上でしたが、作風が合わない人は通夜状態にしか見えないだろうし。「半沢直樹」が売れた要因でもあると思うんだけど、ラブコメを描きつつもエンタメ性を頑張って取り入れようとしていたように思う。功を奏していたかは別として。
個人的には、かのかりで苦笑しつつ俺ガイルで疲れてと、いい感じにマッチポンプな感情運びになってたと感じます。ということで本記事はここまでです。二期では墨ちゃんが活躍するそうです(圧)

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©宮島礼吏講談社/「彼女、お借りします」製作委員会

「みんなの物語」「薄明の翼」に感じたポケモンの新境地①

こんにちは、もしくは初めまして、カリーパンです。
早速ですがポケモン作品って、皆さんのイメージとして、アニメ版はサトシ、ゲーム版は自分みたいな、一人の主人公の視点を通して物語が描かれるイメージがありますよね?しかし、タイトルに挙げた二作「劇場版ポケットモンスター みんなの物語」、「薄明の翼」からはどうも一味違ったオーラを感じたので、こうして掘り下げてみようと思った次第です。
ポケモン好きの方はもちろん、どちらかというと「ポケモンをあまり知らない」といった方に興味を持っていただけたらな、という思いの方が強めなので、お暇があれば是非読んでってください。

☆「劇場版ポケットモンスター みんなの物語」:群像劇に感じる「バトンタッチ」

 

 

 今作は、前作「劇場版ポケットモンスター キミにきめた!」で監督を務めた湯山邦彦に代わり、矢嶋哲夫監督。というのも、20年来変更がなかった監督の初交代だったんですね。そしてそれを強く感じさせる「バトンタッチ」がありました。転機であるからこそ、ポケモンに触れてこなかった人に見てほしい一作。ネタバレ抜きで魅力を紹介。

 

・主人公の「芽吹き」

今作最大の特徴としてあるのが、「サトシ」を主人公に据えて伝説のポケモンと出会い問題を解決して…という従来のポケモン映画の流れをぶった切る、複数人のオリジナルキャラに焦点を当てたグランドホテル方式(群像劇調)である点。一作品としてのまとまりはあるため、オムニバス形式ではないですね。
映画の尺の中で複数の主人公格を動かすことの大変さは想像に難くないですが、それぞれのキャラクターの掘り下げが簡潔に、それでいて私たちにも一度は覚えがあるような等身大の「トラウマ」に結び付けられており、没入感が損なわれない。歩み寄れないオバサン、一歩引いてしまう少女、ホラ吹きなおじさん、奥手な少年、まだまだ世間を知らない少女。それぞれがポケモンと歩んでいく過程を描いた成長活劇に誰しもが共感し得るのではないか。

 

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・今作におけるサトシの役割

じゃあ今作においての「サトシ」の役割は?と聞かれると、あくまでサブキャラクター的な位置と言えてしまうかもしれない。しかし今作の彼にも、明確に重要な役割がある。
ここで、「サトシリセット」という言葉を聞いたことがあるだろうか。簡単に言うと、「アニメポケットモンスター」のブランドに強く根付いた、主人公=サトシの呪いのこと。まあこの辺に関してはデメリットばかりではなく、「サトシとピカチュウ」という違う世代の間でも共通の認識に落とし込める、という利点もあるのだが。
閑話休題。以上のことを踏まえたサトシの今作の役割は、20年もの間、湯山監督が築き上げてきたサトシ像の「背中」であるといえる。まだまだ人間としては未熟であるサトシ、だがポケモンと歩んできた軌跡を背中で語る。そしてそれに感化される今作の主人公たち。バトンタッチと主人公の芽吹きがとにかく印象的でした。

 

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ドラえもん、モンスト映画等のキャラデザ・金子志津枝さんの、美青年・サトシ。

・〆

ほんとは薄明の翼の魅力も紹介したかったのですが、それだけで一記事が出来上がってしまいそうな勢いなので、本記事は短めですがまた次回。
ポケモンの数だけ、冒険がある。」一人の主人公による主観的な物語展開のみが、ポケモンの魅力ではない。ということを、本作を鑑賞し、体感していただきたい。ポケモンに触れてこなかった方にも是非おすすめです、という紹介で、今回のところは〆とします。

 

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