カリーパンの趣味備忘録

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「神様になった日」3話感想-麻枝准のメタ的セルフデプリケーション・ユーモア

こんにちは。

まず初手謝罪になるのですが、自分は麻枝准氏(以下敬称略:だーまえ)の作品に多く触れてきたわけではありません。本作のキャッチコピーでは「原点回帰」と銘打たれておりますが、あくまで自分にとってだーまえの泣きの原点は「CLANNAD」であり、彼が失敗作と語る作品が「Angel Beats!(以下AB)」「Charlotte」であるという前提で感想を展開していく旨、ご了承くださいませ。

 

本作「神様になった日」の第3話は、AB 3話やCharlotte 3話が物語の大きな転機だったにも関わらず、終始コメディ描写に徹していました。今後展開していく作品の転機における準備段階、日常の強調だとは思うのですが。
閑話休題、まず第3話で印象に残ったのがサブタイトル「天使が堕ちた日」。天使と聞くとやはりABを彷彿とさせますし、ABは天使という「神様の使い」を描いた作品で、本作はタイトルからしても「神様そのもの」を描いた作品ととれる。つまりこの第3話で、ABに対する何らかのアンチテーゼ(堕ちたという表現から)が提示されることが予想できます。

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それを踏まえた上で本編、ラーメン屋の再建記が描かれますが、そのラーメン屋の廃れた理由の一つとして「調理過程に過度なこだわりがある」という要素が挙げられました。ABはバンドやアクションシーンなど多彩なエンタメ性を含ませた作品でしたが、まさにこの旧ラーメンと重なります。神様になった日公式サイト「ゲームクリエイターがアニメに挑戦し続ける理由」にて、だーまえはこう綴ります。

『神様になった日』も、最初の原稿は上手く書くことができず、ひどい状況でした。周りの意見を聞いても、とても商業作品として通用する出来ではない、という辛辣なものでした。
それでも、可能性のようなものは感じてもらえたのか、「これは面白くなる」と言って良くしようとしてくれる方たちが現れました。
その人たちこそ、監督を筆頭としたアニメスタッフの皆さんです。

引用元:SPECIAL | TVアニメ「神様になった日」公式サイト

この話は、執拗にラーメンの調理過程にダメ出しして、不必要な拘りを捨てさせる陽太の描写と重なります。

そして情熱大陸のパロディを思わせる陽太へのインタビューシーン。「インフラが発展したことにより、ブランドのデフレが起きる」旨の台詞。作品の質の拮抗&量が増えていく中でのだーまえの葛藤を想起させる。このメッセージ性はフィルムの中でも象徴的に表れているように感じて、「堕天使?もうただのヤケクソだよね」という台詞に合わせて我武者羅に走る陽太をフォロー演出*1で映し続ける描写は、手前の金網の閉塞感も相まって、だーまえというクリエイターの葛藤や苦悩が如実に投影されているように感じてならない。日常シーンの「お祭り騒ぎ」感と対照的だから尚更ね。

 

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メタ的だーまえの化身。

個人的にAngel Beats!はかなり好きな作品でしたが、独特のテンポ感や死生観の描き方は視聴者を選ぶものだったのは間違いない。けど合う合わないは人それぞれだし、気負いすぎなんだよなぁ、といつもだーまえ作品を見ていると感じてしまう。

一連のラーメン屋再建記シークエンスを俯瞰していた新キャラ・鈴木君の「くだんねぇ」の一言も象徴的でしたが、こういった一種の自虐&アニメーション業界への警鐘を笑い話(コメディ)として落とし込むあたりも、彼の作家性が非常に前面に表れていて、個人的には好きな回でした。頑張れ、だーまえ。今後の展開を楽しみにしております。

 

©VISUAL ARTS / Key /「神様になった日」Project

*1:被写体の位置は固定、背景を動かす手法