カリーパンの趣味備忘録

視覚から得る情報の雄弁さは計り知れない。

「神様になった日」5話―死後の世界に陶酔する人、引き戻す麻枝准

こんにちは。
神様になった日」5話、この辺りで確信めいてきましたが、どうやらストーリーラインの整備より、麻枝准(以下敬称略:だーまえ)氏が、言いたいことを作品に乗せるのを先決としているため、メタ目線で鑑賞すると楽しい作品かな、と思えて来ました。勿論今後の展開にもよりますが。「ヴァイオレット・エヴァーガーデンを思い出す」旨の感想をよく見かけましたが、個人的には「週刊ストーリーランド」の挿話の一つ、「天国からのビデオレター」に酷似しているなと感じたので、レンタルなりして鑑賞することをオススメしておきます。

 

週刊ストーリーランド ベストセレクション(1) [VHS]
 

 

さて、まず今回でビビっときたのが、オカルト&超常SFでも鉄板ではあるのですが「生者と死者のダイアローグ」という一連のシークエンス。生者と死者の交信なんて、これもうAngel Beats!ですね、分かりますってなっちゃう早漏っぷり。人によって何を感じるかはそれぞれなのでご愛嬌ということで(笑)。

閑話休題、まず「いや、死者はひなが演じた偶像ではないか」という点ですが、自分はこの点に対してあまり問題視していません。というのも、Angel Beats!での死の描写のライトさからも分かるように、だーまえの死生観というのは「死から何を生かすか」だと考えてる。結果的に伊座並家が「本物」のメッセージを受け取るわけだし、件の通話シーンもそのきっかけに過ぎないと思うのでアリかなと。

というわけで通話シーン、ここで重要なのが、ひなが「電話ボックス」で通話している点。神様になった日の世界は現実と仮想に乖離している、という考察をされている方をよく見かけていて個人的には肯定も否定もしていなかったのですが、このシーンで上記考察がより現実味を帯びた気がします。

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数年前に日本でリバイバル上映も行われた快作「マトリックス」、その際にTwitterにて行われた一般公募キャッチコピーの企画で、マトリックスの新キャッチコピーとして「電話ボックスまで逃げろ!」となりましたが、本作では現実世界と仮想世界を繋ぐパイプとして電話が用いられます。神様になった日5話における生者と死者の世界という二重構造に通ずるものもありますし、マトリックスでは「現実への帰還」の際に電話ボックスを利用するため、今作も似たような演出意図があったように思います。Angel Beats!は死後の世界が舞台の作品ですが、よく「Angel Beats!の続編は作らないのか」旨のファンコメントを見かけます。自分はABが好きだからこそ続編はあるべきではないと思うし、P.A.WORKS×Key新作発表のネット特番の際もこういったコメントで溢れる事は十分承知していたので、チャットはオフにしてました。今回の話は、そういった「死後の世界」に陶酔し切った人々に喝を入れる挿話に感じました。

ともすればそう解釈できる点を、フィルムの絵づくりからも感じました。Angel Beats!の世間一般でいう名シーンでは、そもそも基本的な舞台設定が屋外ですし、夕焼けをモチーフ的にした逆光の構図は、図ったかのようにエモーショナルな情感を映し出していました。ああいった切なさに振り切った演出は、言葉の綾ではありますが「死後の世界からの今生の別れ」を表しているように感じました。

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さり気なく対比になってるのがまた。


対して今作「神様になった日」5話では、舞台背景が家庭内であり、かつ日中の出来事だから日光がそのまま順光的にキャラクター達を照らす。伊座並母の「忘れて、処分してね」というセリフも象徴的で、そんなことは不可能であるとわかったうえで、死を意識するのでなく今ある生を享受して欲しいというメッセージに感じました。だからお墓参りのシーン挿入、またメッセージ処分について明示しなかったのも正しいと思う。

 

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伊座並自身の描かれ方も、凄くフィルムとしてよかった。今回の絵コンテは篠原俊哉さん。例えばこういった、伊座並の表情芝居を際立たせるような、動的なトラックアップ*1演出。篠原さんはCharlotte 12話「約束」の絵コンテも担当されていますが、この回でもラストカットが特に印象的で、乙坂の視点を意識した動的なPOV*2演出。空を映すだけならPANアップ*3でもよさそうな気がしたのですが、あえて動きを付随する。両回とも特別動きの多いシーンはなく、どちらかというと静的なフィルムだったんですよね。だからこそ一貫した静寂を崩すような演出は、キャラクターたちの心情に寄り添うような、非常に印象的なカメラワークに感じました。

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伊座並の電話シーンの、自然と手に力がこもったり不意に立ち上がる感情芝居、ラストシーンで肩呼吸をする芝居の繊細さなんかも、Angel Beats!ラストの音無の芝居なんかを思い出してセンチメンタルな気分になりました。

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そして終始伊座並が下座(左側)、成神が上座(右側)で描かれていた物語も、ラストの会話シーンで遂に想定線(イマジナリーライン)を逸脱する。二人の関係性は進展せずとも、伊座並の確かな変化が描かれていて良かったです。

 

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伊座並が上座側へ、変化の象徴

神様になった日ネット特番にて、石川由依さんに対して「好きなアニメで出演されてたのチェックしてました」と興奮気味にだーまえが仰られておりましたが、今回の話を見た限りだとやはりヴァイオレット・エヴァーガーデンのことだったのでしょう。ただ一見オマージュ的なフィルムでも、伝えたかったことは全く違うのではないか、というのが今回言いたかったことです。こういったメタフィクション的な構造を続けていくのだろうか、というのは一つの疑問ですが。とはいえ、かの幾原邦彦氏も、セーラームーン世代を夢から目覚めさせるために筆を執るように、自分が伝えたいことをある程度作品に乗せるのもありだとは思います。ともあれ今回の話は、ある種Angel Beats!のアンサーフィルムのように感じ、興味深いものでした。

 

©VisualArt's/Key ©VisualArt's/Key/Angel Beats! Project

©VisualArt's/Key/Charlotte Project ©VisualArt's/Key/「神様になった日」 Project

*1:被写体にカメラが近づく技法。T.Uとも

*2:ポイントオブビューの略。主観カメラ。一人称的カメラ。

*3:カメラを上に振る、縦移動。ティルトと同義。