カリーパンの趣味備忘録

創作のレーゾンデートルをひたすら論証する場所。

「神様になった日」 7話感想―卵の殻(世界)、内から割るか?外から割るか?

神様になった日 7話。6話にて登場したCharlotteの高城君ですが、話題性の確保のみが狙いではなく、案外テーマ性に連結があるのかな、と思わせる挿話でした。
まず今回の話を自分なりに解釈するにあたって流石に触れておきたかったのが、本話中でひなが歌唱していた麻枝氏作詞・作曲の「Karma」。ここでまた安定の謝罪となりますが、麻枝信者ではない故楽曲の存在すら知りませんでした(教えてくださったTwitterの皆さんありがとう)。しっかり楽曲を鑑賞してきました、とりあえず歌詞をお借りします。

作詞・作曲:麻枝准 編曲:ANANT-GARDE EYES 唄:Lia

卵でさえ上手く割れない そんな不器用なきみなのに
この世界を救えるという その身を犠牲して

今では誰もがきみのこと まるで英雄のように見立てて
きれいな服を着せたりして はだしのまま逃げてくる

何もできないきみだって 僕は好きなままいたよ
運命というものなんて
信じない いつだって 理不尽で おかしくて
きみだって 笑ってやれ こんな理不尽を

寄せては返す光を背に 楽しげにきみは歌ってた
波音を言い訳にしても 音はとれてなかった

きみからはすべてが欠けてて それゆえすべてと繋がれる
いのちになれるということ 僕もいつか気づいてた

贅沢なんかいわない 悲しみだって受けるよ
だから君という人だけ
ここにいて ずっといて 僕から 離さないで
どんなことも恐れず 生きていくから

初めて見せるような顔で きみは歩いていった
その運命を果たすために

何もできないきみだって 僕は好きなままいるよ
運命というものなんて 僕は決して信じない
卵も割れなくていい いくつでも僕が割るよ
歌が下手だっていいよ こうして僕が歌うよ

Requiem for the air Requiem for the river
Requiem for the wind Requiem for the light
Requiem for the forest Requiem for the sun
Requiem for ther land and the ocean

Requiem for the heaven Requiem for the heaven
Requiem for the heaven
僕は走る
Requiem for the heaven Requiem for the heaven
神をも恐れず

 一旦歌詞は置いといてまず本編、前半は劇中劇を制作するシークエンスと、これまた物語における世界の二重構造を彷彿とさせる内容でした。余談ですが、毎回TVゲームシーンを必ず挟むのも意図的でしょうね。と、そんなTVゲームシーンにて早くも確信めいたセリフが飛びます。

伊座並「なぜ分子レベルで崩壊したものを、わざわざ再構築してあげるの?」

―神様になった日 7話より 

 うーんここにきて量子力学、「ノエイン」やら「ゼーガペイン」をおっぱじめる気か?とも。ともあれ量子力学による存在証明、Charlotte 1話でも語られていた「我思う、故に我あり」、デカルト方法序説だろう。自分自身を含めた全てのものが偽りのものであったとしても、その疑っている自分自身の存在を疑うことはできない。「STEINS;GATE」でいうアルパカマン(1話より)が考えとして近いですね。

こういった点を踏まえた上で見返す7話ファーストカット、被写体深度*1を転換させる演出で、金魚(≒成神たち)が鉢(≒仮想世界)からみた世界のぼかしを表していたようにも思える。金魚鉢の側面は屈折しているから金魚は外界が歪んで見えているが、金魚と自分たちの見ている世界が違うからといって、それが観測上のリアリティーの証明にはならない(自分たちもまた、歪んだフィルターを通して世界を観測している可能性を否定できない)。

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金魚→成神への意識的な被写体深度の移行

そういった不確定な世界に生きる中でも、ひなから成神への意識変化は間違いなく本物だったのだろうと思わせる、一連のシークエンス。こういった意図的なアイレベル*2の下げ方や丁寧なひなへの芝居付けなども、そういった想いを印象付けるようなフィルムのように映りました。

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PANダウンからの、口元の芝居がまた良い。

ここでKarmaの話に戻ります。歌詞としてはよくある献身やら自己犠牲やらの絡む、所謂「セカイ系」の物語。しかし、今回の挿話と結び付けるにあたって、やはり外せないのが「何もできない君だって 僕は好きなままいるよ <中略> 卵も割れなくていい いくつでも僕が割るよ」の一節でしょうか。メタファー的には、ここでいう卵の殻は世界そのもの、繊密なセル画によって不愛嬌に描かれていた散乱する卵の中身はひな自身(名前の由来は鳥の「雛」から?)、と個人的に捉えました。

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この辺りまで連想してまず最初に浮かんだのが、ヘルマン・ヘッセ 著、「デミアン」の有名な一節。

 「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。

  生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。

  鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという」

(『デミアン高橋健二訳)

 このフレーズはいわゆる「自己変革論」、自分を囲う殻(自閉的な世界)を自ら破壊せよ、と説いている。それに対し「Karma」の歌詞では、「割れなくていい、僕が割るよ」というように、他者からの手助けという外的要因が提示されている。おまけに「何もできない君だって、僕は好きなままいるよ」というデミアン完全否定付きである。

 

もちろんどちらが正解とも言えないし、どういった思想がバイブルとなるかは人それぞれだけども、少なくとも成神が世界を犠牲にしてひなを救う、騎士道精神(ちょっと違うけど)的な話になるのかな、と勝手に予想。メタフィクション構造は好みだけど、どうも面白いと言い切れないのが正直なところ。遂に半分もきって、ぼちぼち大きく舵を切りだすところではないだろうか。

 

©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project

*1:写真の焦点が合っているように見える被写体側の距離の範囲のこと。アニメでは主に、ピントの合わせ方を指す。

*2:人が立った状態での目のあたりの高さ。ここでは、カメラを構える位置(高さ)を指す