カリーパンの趣味備忘録

視覚から得る情報の雄弁さは計り知れない。

「さよならを教えて 〜comment te dire adieu〜」感想―救済の有無、自己実現の対極

確か6月頃にDLsite様より購入してちんたら進めていた「さよならを教えて」、ようやっと全ルート読了しました。総括的に一言で感想をまとめると、「救いはなかった」と思う。以下、まず簡単なゲーム概要から。

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あらすじ

主人公は教育実習生としてとある女子校を訪れていた。ある日、彼は美しい天使が異形の怪物に蹂躙されるという奇妙な夢を見る。彼が校内の保健医にその夢の相談をしていた時、一人の少女が保健室を訪れる。主人公の見た彼女の容姿は夢の中の天使に酷似していた。主人公は教育実習生としてヒロイン達と親しくなりながら奇妙な夢の真相を探る。 (Wikipediaより)

 

PV


さよならを教えて ~comment te dire adieu~ デモムービー

 

 所謂アダルトゲームとなりますが、その枠に収まるにはもったいないレベルで読み物として優れていると思います。支離滅裂なテキストの羅列を、ストーリーラインに無理矢理整合性を持たせるように並べたような構成で、ある種目新しさもありました。信頼できないというレベルではなく、「全く」信頼できない語り手といっても過言ではないかもしれません(笑)。この作品において重要な要素は、自己実現とは?の1点に尽きると思います。

純文学に精通のある方、信仰心や哲学に詳しい方だと、より作品の世界観にのめり込めて面白いんじゃないかと。特に音楽面は、メランコリーな作品の世界観を存分に引き出した素晴らしい楽曲の数々となっておりますので、気になる方は是非調べていただきたい。

余談ですが、かなり刺激の強いゲーム故このような注意表示が最初に移されます。苦手な方は購入を控えた方がよろしいかと。

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それでは以下、ネタバレありの本題です。

目次

 

 

1.ゲームシステムについて

本作品は2001年発売のゲームとなっておりますが、「信頼できない語り手」トリックが用いられており、テキストゲームならではの工夫がふんだんに組み込まれていて、かなり目を引くものがありました。しかし、こういった手法が主流になってきた現代では、如何せん目新しさの点では弱く感じてしまいました。もっと早くこの作品と出会いたかったなと後悔。
こういった点はビジュアル面でも感じられて、現代の「萌え」に慣れてしまった今となっては特に強い魅力を感じたわけでもなく、プレイしていて非常に歯がゆかった。また、音楽面では、上でも記した通り全く色あせない上々の出来となっているので、是非プレイして直接きいていただきたいものです。

 

2.自己という世界≒殻に籠る主人公

この項が一番本記事で詰めたかった点です。長くなるかも
まず今作では、大きく緋色、黒色、白色の3色のモチーフカラーによって物語が彩られていると感じます。もっと本質的に言うと、塗りつぶされていると言ったほうが正しいか。黒と白は対極で一つだと言えるため、まず緋色から感じられた所感を。
MELLさんが歌唱を担当されている本作の主題歌「さよならを教えて」のサビフレーズ「昼と夜の間で 時間(とき)が止まる 終わりのない 永遠の夕暮れ時」が特に象徴的でしたが、本作の舞台は終始一貫して夕暮れ時が描かれており、妄想からいつまでも抜け出せない主人公、時の牢獄性を象徴する色合いに感じました。余談ですが、「Angel Beats!」も学校&夕焼けという舞台背景セットが印象的で、死から逃れられない人間が描かれるわけですが、牢獄性のモチーフとしては案外主流なんですかね。


閑話休題、主人公のモノローグで特に印象的だったのがこの部分。

僕の知覚の中以外のどこに世界があるって言うんだ?

自己の存在確認なんて、誰にもできはしない。スーパーヒーローだって。

だから僕が世界じゃないか。僕は世界だ。だから僕が世界を救うしかないんだ。 

 この文言は、ヘルマン・ヘッセ 著「デミアンの有名な一節、「卵は世界だ」と対であると言えます。

「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。 卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという」(『デミアン高橋健二訳)

 少女革命ウテナでも引用されているこの一節は、一種の「自己変革」論であると言えます。しかし今作「さよならを教えて」では、徹底的に「自己変革」と対極の位置にいる主人公の姿が描かれており、上に挙げた対比のような節からもそういった点が伺えました。ここで「白」というモチーフカラーが重要となってくるのですが、今作ではさらに二種類の白、精液や便器といった汚い「白」、天使(翼)や主治医の白衣といった清潔の象徴としての「白」の2種類に分類されています。様々な感想サイトで論争が行われておりますが、自分の解釈としては、前者の白は自己を内包する閉塞的な「卵の殻」の象徴、後者は卵の割れ目から除く淡い「光源」そのものを表していたのかなと。当然「黒」は、それらと対をなす主人公の存在そのもの。

 

3.ヒロイン別感想

今作は睦月√以外は基本的に順番を気にせずプレイしてよいと思います*1。以下自分の攻略順で掲載しています。

 

高田望美(たかだ のぞみ)

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「私、飛べるのかな?」(高田望美)

今作のヒロインたちは主人公の「何者にも成れない」苦悩からくる自己投影的存在として描かれますが、彼女は主に夢へ飛翔できないでいる主人公の体現だったと言えるでしょう。彼女のイメージである「カラス」というモチーフ性、ラストで彼女が建物の屋上に書きなぐる”rebirth"(再誕)という文字も、上であげた「デミアン」との対比のイメージを一番感じたヒロインでした。

特に印象的だったのは、主人公の吸っていたたばこに興味を示すシーン。単純に興味をそそられているような描写は可愛げで、それでいていつまでも「子供」であることにしびれを切らした彼女の決別したいという気持ちが切に表れた場面でもあり、心をえぐられました。

彼女は特にそういった内面に抱えた苦悩が強く伺えたため、どの√でも救いがなく非常にショックでした。しかしそれは同時に主人公も救われなかった(飛べなかった)ことを表すため、必然的な悲劇だったんだと思います。無念。

 

目黒御幸(めぐろ みゆき)

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がすっ、がすっ・・・
何度も、何度も、僕は御幸の頭を机に叩きつけた。
何度も、何度も、僕は御幸の頭を机に叩きつけた。
何度も、何度も、僕は御幸の頭を机に叩きつけた。
何度も、何度も、僕は御幸の頭を机に叩きつけた。
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何度も、何度も、僕は御幸の頭を机に叩きつけた。
何度も、何度も、僕は御幸の頭を机に叩きつけた。
何度も、何度も、僕は御幸の頭を机に叩きつけた。

 一言で言い表せば、もの静かな博識少女というありがちな役割付けのヒロインでしたが、今作においては、まさに一番自己投影が如実に表れていたように感じました。勉学に対するコンプレックスだとか、コミュニケーションに苦悩する姿なんかは特に、自身にも思い当たる節もあり辛かった。

そして今作は、自己の破壊の象徴として、必ず主人公が全ヒロインに暴力的な行為をするシーンがあったのですが、上で引用した主人公のモノローグからも伝わるように、彼女に対しては特にその傾向に過剰さが際立っていたように感じました。高圧的な態度を表面に表すヒロインでしたが、同時に主人公の異常なまでのプライドの高さも印象付けられました。

博識少女という設定上、他の創作を引用したヒロイン毎の解説(狂言回しに近い)が全√に必ずあって、本ゲームのライターが伝えたいことの代弁的な位置づけだったことも印象的だったか。眼鏡好きは要チェック

 

田町まひる(たまち まひる

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「どうして、まひるのことイジメるの?」(田町まひる

 作劇に一貫して流れるどす黒い雰囲気の清涼剤的な役割かと一瞬期待しましたが、決してそんなことはなかったです。いや、知ってましたけどね(泣)。過去の心的外傷と戦う主人公と、終始可愛げな仕草で振る舞う彼女の描写は、くしくも許しを請う主人公の姿そのもので、表面上は明るい場面も全く癒したり得ない悲しさ。

一般的なゲームにおける幼馴染的なキャラで序盤こそ愛くるしい姿とBGMが作劇の緩和剤となっていたが、案の定終盤は痛々しい(物理)場面のオンパレードで落差が辛かった。彼女は明るくとも、主人公を赦してくれる存在などいなかった

自分の好みではありませんでしたが、おそらく作品中でもかなり人気のあるキャラだったのかなと思います。

 

上野こより(うえの こより)

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「そのヒクツさはぁ、すでに傲慢ですよぉ」(上野こより) 

 個人的に一番好きなキャラでした。気怠さを隠そうともしないゆったりとした口調や楽観的な性格はまさに自分のツボでしたし、およそ学生のものとは思えない豊満な体つきの官能的なこと。上記3ヒロインは何らかの側面における主人公の自己投影的存在でしたが、逆に彼女は主人公の対極として描かれていました。根詰めて考え込んでしまう主人公、どこまでも楽観的なこよりの描写など。

豊満な体つき、という点も決して意味がないわけではなく、主人公が彼女とのコミュニケーションにおいてたじろぐ要因となっており、くしくも主人公の女性に対するコミュ障っぷりを描き出していました。この辺りも感情移入しやすかったかなと。

楽観的な思考だったという点を強調しておりますが、だからこそそういったキャラに上で引用したようなセリフを言わせる(仮託する)ライターは、やはり今作の魅せ方を分かってるなぁと感心した場面でもありました。お見事。

 

巣鴨睦月(すがも むつき)

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「そうです。あのコが僕の畏敬する天使様なのです」(主人公) 

 まずプレイした感想として、彼女を「天使」と位置付ける点がやはりまた唸らされる。彼女は上記5人中唯一の実在するヒロインであり、また「再び飛ぶこと」を赦された存在だったのだなと。

この作品における、所謂「トゥルーエンド」の位置づけを敢えて定義するならやはりこの√なのですが、それにも関わらず主人公は他の√と全く同じ終幕を迎えるのが印象的だったなと。「CHAOS;CHILD」をプレイしたときも思ったのですが、やはりプロットのよいゲームは√の位置づけ(というより”トゥルー”エンドの在り方)から違うなと唸らされる。睦月は飛び上がったとしても、自分を赦せなかった主人公は結局同じ終焉をたどる。

別√ではモノローグで完結させていた一人の狂いに狂いまくった殻の中の雛が、皮肉にも異質なダイアローグによって一人の少女を救済した。主人公に救いはなかったが、我ら読み手には少なからずしっかりとした余韻が残った。

 

4.最後に

あまりガッツリは取り上げませんが、最後に作中で用いられた「スーパーマリオ」の話から思ったことを少々。

大森となえ*2「幻覚キノコを食べて、身体が大きくなる・・・・

    花を取ったら火が吹けて・・・・

    大麻のさ、一番キクところって知ってる?

    トップっつってね、要するに花なんだけど」

 

主人公「僕がマリオなら、誰かが操作してるはずなんだ!」

 もちろん某任〇堂様のゲームにこんな事実はなく(笑)、いもしないピーチ姫(≒ヒロインたち)の救済に奔走する主人公を咎めるとなえさんの台詞なんですが、主人公にここまで(ゲームとして)メタ的な台詞を仮託したことにもやっぱり意味はあると思ってて。「信頼できない語り手」的演出として主人公がプレイヤーの選択肢と全く違う行動をとる描写もあるのですが、この作品における主人公とプレイヤーは全くの別人なのだ。だからこの作品に救済はなかったと捉える人もいるし、一人の少女を救ったという事実に安堵する人もいる。個人的な意見としては前者だが。

「主人公の操作」という枠から切り離される作品に対する相対性、解釈の多元性は、紛れもなく今作をカルト的ゲームたらしめる要因だったと思う。

 

©VisualArt's/CRAFTWORK

*1:睦月√はラスト推奨。

*2:作中の登場人物、スクールカウンセラー。女性でヒロイン枠に近しいが√は無い