「ホリミヤ」1話&OP演出感想―四角形テリトリー
「ホリミヤ」1話アバン。
髪を横流しする堀の芝居付けの良さに見惚れる間もなくすぐさま次のカットへ、微かなカメラのスライド&キャラクターの瞳を介するカット転換による視線誘導。キャラクターたちの芝居は生活感に溢れて自然でしたが、こうして意識的に演出されたキャラクター毎の感情ベクトルの差異の表現はせわしなく、何かしらの意味合いを感じずにはいられませんでした。
例えばその後、宮村とすれ違う直前の、こういったカットとか。すれ違うとはまさにベクトルの向きが衝突するという意味合いと同義ですが、町を行きかう人々の方向性の意識づけ、背景のスライドに仮託された物語が動く「予感」。余すことなくカットを切り取りだしたらキリがないのですが、とにかく方向性を際立たせるカットの数々は、とても面白いコンテの切り方だと感じました。
そしてここでOP。待ってました、石浜真史。相変わらずの影へのモチーフ性の持たせ方、オサレなスタッフクレジットの置き方、オーバーラップ*1で印象的なカットを小出しにする演出などは、彼のコンテの特色を否応なしに表していました。
コマ割り構図のような四角形の強調、閉塞感を記号的に表したような箱→窓→…というマッチカット*2演出も秀逸。そしてここでも描かれる方向性、というより逡巡する個々の思案をメタファー的に表したような、「回転」の演出。背景と違うスピードで、回り込むように落ちていく宮村の立体感。ここ以外にも数か所にみられる、手前のセルと背景を逆方向に引く描写。
必要な情報を含ませつつ作品をシンボル的に示す、やはりオープニングはこうでないと。
そして再び本編。相変わらず丁寧な芝居付けで表されていく二人の距離感、その距離感の物差し&本作の特徴ともいえる「普段秘匿している二面性」の共有。まあこれもラブコメの鉄板といってしまえばそこまでなんですが、それを視覚的に表現した石浜真史氏のコンテ切りがとにかくすごい。
例えばそれは、宮村が「堀が仲良くしているクラスの女子を見かけた」旨を堀に報告するシーン。
窓ガラスに映る虚像に仮託された二面性から「虚像のみ」になるカット背景の白飛び、そしてイマジナリーライン*3の逸脱(左右反転)。窓ガラスによるフレーム内フレーム*4、というより窓ガラス越しに映したカットへの転調が印象的で、繊細な距離感の表れの中で、確実に堀の心情に「動き」が見えた瞬間が切り取られたカット運びに思わず息をのみました。
一連のイマジナリーライン越えの流れでも用いられていたフレーム内フレーム、ここで何となく、OPでひたすら強調されていた「四角形」への意味合いがより強固に根付いてくるわけですが、その後のカットでもやはりしきりにでてくる「四角形」に閉じ込められたような宮村のカット。
自分じゃ釣り合わない、そういった自己肯定の低さから一歩を踏み出せずに籠る。こういった恋愛論もいささか記号的に処理されていくものの、やはりそれだけでは表せ切れない本作ならではの距離感は、気取らない自然体な芝居付けで補完されていく。この塩梅が非常に心地よい。
そうして視覚的に宮村のパーソナルスペースを演出したうえでのラスト、堀と宮村の会話シーン、ここの足の芝居がとても良い。
自己肯定の弱さから後ずさる宮村。そして堀、一歩その場で踏み込むことによる間合いによる緊張もいいのですが、続けざまにカメラのフレーム外、即ち「宮村のテリトリー」へと歩みを進める。ここまで丁寧な芝居付けで視覚的な「自己紹介」を重ねたからこそできる、弱気と強気と対比を表しきった雄弁な演出、個々のパーソナリティを描く上でかなり意味を含ませたカット運び、つられて自然と感情が動かされました。
それとなく複雑化していくであろう人物の相関関係、四角形という平面的な概念から、立体的になっていくであろうことが示唆されたOP。個々の色づいた影は、どの方向へ伸びていくのか。既に多少シュールな展開もありますが、これから彼ら・彼女らがどう物語を紡いでいくのか、見届けたい気持ちにさせてくれた初回・OPでした。話数絵コンテ、石浜さんが積極的に参加してくれることを願う。