カリーパンの趣味備忘録

視覚から得る情報の雄弁さは計り知れない。

スーパーカブ1話とゆるキャンの演出備忘録

スーパーカブ」1話、アバン。ドビュッシーの楽曲を背景に映される美しい風景の移り変わりは、何気ない日常、1日の始まりを告げるには十分すぎる描写だったと思います。だからこそ、その劇伴・風景の流れが小熊の目覚まし時計を止める芝居と連動して静止する演出*1がとても良くて、それはまさに幾多もの日常の中でも、小熊だけの日常へ没入していく転換点として描かれているように感じます。

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スーパーカブの購入・免許取得の即決、或いはパンを立ち食いしたりと、見かけに寄らずかなり豪快な行動が面白いのですが、寧ろそういった行動の中でも普遍的な女の子らしさを強調させる、FIX×長回しの日常芝居がとても映えます。カット割を多用しないことによって、「アニメというパイプを通して彼女らを見ている」というメタ視点が薄れ、「彼女らと流れゆく時間を共有する」感覚が心地よい。

 

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そういったカットを切り出し始めたらキリがないのですが、例としてこことかもそう。トラックとのすれ違いを思い出して固まる間の取り方とか、瞬き、或いは落ち着いてお茶を飲む。FIXによって動きに目が集中するし、長回しによる時間の切り取り、共有している感覚が感じられるカットが随所で良い。

 

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女の子らしさといえば、Aパートで坂道を登るシーンなんかもそうです。必死に坂道を登る息遣いやネガティヴな独白、嫌なときに嫌なことを連想してしまう、というメンタリティの描きが至極リアルで、漕ぎゆく小熊を正面から捉えたカットが重みを帯びてじわPANされる演出も、そういった小熊の心情にフォーカスしたものに感じられました。

 

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だからこそラストカットにて、自転車を漕いでいた時には感じられなかった風を感じさせる自然な髪のなびき、或いは手前から奥へ突き抜けていく小熊を捉えたPANアップが、前述の自転車シーンと対比となっているのが凄く良い。

 


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対比と言えば朝のルーティンを捉えた一連の日常芝居もそうなのですが、レトルトを選びとる手の仕草に迷いが無くなっていたり、また窓から顔を覗かせればスーパーカブが迎え入れる。彼女の中で特別大きな変化があったわけではないですが、空洞で無色だった日常が確かに色づいていく。日常の切り抜きを垣間見る感覚にどうしようもなく心が奪われていきそうです。

 

そして「ゆるキャン△ SEASON2」。京極義昭監督特有の写実的なフィルム構成は、アニメを彩る造形豊かなキャラクターたちと共存することで、ある種の化学反応的な効果を起こしていたと思います。なでしこやしまりん達の可愛らしい仕草にほっこりさせられる中で、カメラマップや広角レンズを駆使したレイアウトは目を引くものがありましたが、そういったカットは決して「ゆるキャン」の世界の中で異質なものではなく、寧ろ彼女たちが彼女たちであるための世界そのものでした。

特に目を引いたシークエンスは、9話、13話のツーリングをする場面。どちらの挿話も京極監督が絵コンテに参加されている点からも、強めな演出意図を感じられました。寧ろ9話は、ツーリングの場面に限らず、終始光源の使い方・ライティングの塩梅に細心の注意が払われていたように思います*2

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家族間の会話のインサートで挟まる、こうして薄く照らされた廊下のカットもそうです。「敢えて」余白を省かない。それはやはり、作中の世界に生きているキャラクターたちの生活感を重んじる上で、効果的なコンテの切り方に感じました。

或いはその後のツーリングの描写だって、りんたちにとっては日常というインサートの延長線上だったのだと思います。


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それは一点透視図・ライティングの点で廊下のカットと類似性のあるこういったトンネルのカットもそうですし、ヘッドライトや月などのりんと大塚の二人を照らし続ける光源に、温もり・慈愛を感じさせられました。またこれはスーパーカブにもいえるのですが、独白・ダイアローグの一切が切除され劇伴に仮託されたシーンが多いのに、思わず感情移入をしてしまうフィルム作りが本当に素晴らしくて、「距離感・心情の説明をわざわざ文字に起こさなくてもいいよね」という読み手を信頼した作り手の投げかけに感動しました。

 


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そして13話(最終回)。9話のツーリングでも挟まれていたりんの口を開く仕草と連動して、富士山をBGとしたロングショットが対比となっているのがとても良かったです。進行方向の逆転、上手から下手への帰還。それはまさしく、「帰ってきた」というりんの安堵感を捉えた画として、とてもよい対照性の構図でした。

 


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そして最後、これは演出意図というより脚本の話に近いのですが、コンビニの描写について。スーパーカブゆるキャン△の共通項でもあり、どちらかというとスーパーカブの方の小熊が安堵する芝居が挟まるのがすごくいいんだけども。どちらも状況設定として夜間であることが良さを引き立てていますが、淡いライティングで照らされたコンビニは、少なめの登場人物にフォーカスする両作にとって、人に溢れた世界で生きているという生活感がより強調される舞台装置となっているのがいい。彼女たちが紛れもなくそこにいるという実感、フィルムの向こう側の世界という垣根を超えた「時間を共有する」ことの意味。

 

スーパーカブで画的に描かれる彩度の転換、ゆるキャン△による洗練された画面レイアウト。彼女たちの中で劇的な変化があったわけではない、寧ろゆっくりとした時間が流れゆく、そこにドラマの行間として生活風景が流れる意味。変に動かすわけではなく、寧ろ覗かせてもらうような静かなカメラワーク、或いはささいな生活音という「生の実感」にどうしようもなく心を掴まされてしまうわけです。

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©Tone Koken,hiro/ベアモータース

©あfろ芳文社/野外活動委員会

*1:目覚まし時計が止まると、劇伴も止まる

*2:スーパーカブ1話でも、彼女の心情とリンクする彩度の転換・撮影処理が印象的でした