カリーパンの趣味備忘録

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不在の「過去」と、出会いの「今」と。――『THE FIRST SLAM DUNK』感想

『THE FIRST SLAM DUNK』、原作未読ながらに鑑賞してきました。個人的には、大傑作でございましたよ!最高の映画体験でした。

以下、ネタバレあり感想です。

ミッドランドスクエア シネマにて鑑賞



『THE FIRST SLAM DUNK

原作・脚本・監督

井上雄彦

 

アニメーション制作

東映アニメーション

ダンデライオンアニメーション

目次

 

事前評価を覆す、観戦型映画としてのポテンシャルの高さ


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やはり一番記憶に新しいのが、予告編より明らかになった、キャスティングの大幅変更とCGアニメーションへの大バッシング。原作未読かつ気になった映画はなるべく観ている程度の自分ならまだしも、原作を愛する方たちからしたらとんでもない爆弾であっただろう。

しかし公開直後、そういったネガティブな事前評価を覆すほど絶賛を浴びる作品力に、より期待が高まった。

そしていざ、鑑賞。

旧アニメ版では時代の都合上、間の取り方が枷となっていたであろうことは想像に難くないが、モーションキャプチャーを駆使した3DCGアニメーションの技術によって、その抑制から完全に解き放つことに成功していた。桜木の(普通だったら)異質な立ち位置と圧倒的なリバウンドの高さが、素人さ、また確かに持ち合わせている才能という点で非常に分かりやすく表現されており、自分のような初見の人でもキャラクターに説得力がある。また等身のリアリティによって、絶望的なまでの山王のガードの堅さと、宮城の小柄さがしっかり伝わる。3次元的なフィールドの様相が、アングル・画を通じて映画という平面フィールドから確実に伝わってくるのだ。

また、そこに立体を付与する役割としての音響面も、大したものだ。体育館という属性を最大限に引き出したボール音や歓声の反響、シューズの擦れる音は、まさに今作の「観戦型映画」としての臨場感を高めている。

と、ビジュアル的には殆どの人が納得する完成度であっただろうが、今作はそういった優れた空間性とは裏腹に、かなり特殊な構成となっている。

 

「過去を回想する」、ということ。あるいは、その揺れ動き

ここで少しあらすじを振り返ってみる。今作は、原作でも最高傑作と名高い「湘北VS山王戦」を描きながら、湘北のメンバーの一人「宮城リョータ」に焦点を当てつつ、物語は展開される。

宮城リョータには、「宮城ソータ」というこれまたバスケの才を持つ兄がおり、その兄を海難事故で亡くしてしまっているという過去を持つ。

宮城ソータは、言わば漫画版(或いは旧アニメ版)のスラムダンクを表しているとも言える。ファンの中で金字塔として打ち立てられる「原作版スラムダンク」は、絶対に越えられない壁として君臨しており、リョータの周りの環境が言うように、彼は決してソータの代わりにはなれない。

井上 確かにそうですね。繰り返せないのかもしれないです。性格なのか、なぞるというのが苦手ですね。

<中略>

まあ、最初は自分がやるとは思っていなかったので。ただ、そういうお話はよくいただくんですけど、あまりやりたくはなかったですね、最初は。

引用元:COURT SIDE | 映画『THE FIRST SLAM DUNK』 (slamdunk-movie-courtside.jp)

「THE FIRST SLAM DUNK」は、湘北VS山王戦を熱く描きつつも、時折、迷い込むように宮城リョータの回想にフラッシュバックする。それが、感情の流れを阻害してしまい映画の様式美として正しくないとしてもだ。

なぜなら井上監督もまた、リョータと同じく、決して「代わりにはなり得ないもの」に挑む挑戦者だからだ。ソータが山王に入るのではなく打倒する、と宣言していたように、リョータと監督もまた、なぞるのではなく正面からの衝突を選択する。

新機軸の湘北VS山王戦という「現在」を描きながらも、監督自らの抱え込む不安を回想という「過去」に乗せて描く。その二つの相克はフィルムの中でずっと揺れ動きながら、井上監督の「描きたいもの、あるいは葛藤」として二面性を持ち続けるのだ。

 

不在の「過去」と、出会いの「今」と。

未読者であるが故に、やはり鑑賞前に一番気にしていた点は、「原作未読でも楽しめるのか?」というところにある。ネタバレを踏まないよう細心の注意を払いながらレビューを流し見ていると、原作既読者の見解としては「(特に未読者には)推奨しない」という意見が多く見受けられたが、どうやら未読者の評判は高めなように思えた。

監督はインタビューの中で、こうも綴っている。

井上 喜んでもらいたいと思ったと話しましたが、喜んでもらうってどういうことかと。いろんな方法があったと思うんです。自分が思った方法は“出会ってもらう”という。例えば、面白いマンガも一度読み終えたら“初めて読む経験”はもうできないじゃないですか。<中略>なんかそういうのを、『SLAM DUNK』を随分前に読んだ人が“初めて観る”みたいなことができたら、それがいいんじゃないかなって。喜んでもらう形のひとつとして。なので、出会ってもらう。こういう『SLAM DUNK』もあるのかと、初めて出会うみたいな出会い方をしてもらえたら嬉しいなと思いますね。そして、初めて観る人はもちろん、初めてだし。

引用元:COURT SIDE | 映画『THE FIRST SLAM DUNK』 (slamdunk-movie-courtside.jp)

『THE FIRST SLAM DUNKの“FIRST”、自分は原点ではなくファーストインプレッションの意として解釈したが、つまりは「すべての観客に、平等に新しい出会いを届ける」作品を目指したのだと思う。

ともすれば先ほど挙げたレビューにも合点がいく。

原作既読者の出会いは正しく原作であり、今作でスポイルされていた名場面があってはじめて「完成する」。だからこそ、スラムダンクを読んでない層の出会いも原作であってほしい、という一種の配慮から生まれた感想であろう。しかし、やはり原作未読者からすれば、映画からハマって原作を読むとしても、出会いは紛れもなくこの『THE FIRST SLAM DUNKなのだ。

確かに僕には、スラムダンクという形での輝かしい過去は存在しない。言わば、スラムダンクという想い出は不在だ。でも、『THE FIRST SLAM DUNKを介してスラムダンクと出会ったという鮮烈な今がある。それはまた近い将来、自分の中の大切な想い出の一つとして残っていくんだろうな、という確かな予感がある。今はただ、それだけでいい。

 

最後に

以上、スラムダンク映画の感想でした。結局、原作未読者からしたら、これがいい形での「Re:Birth」だったか判断する権利もないし、「正しい映画」として評価すると厳しい面もありましたが、減点方式で観るのはあまりに勿体ない「体感型フィルム」でございましたよ。

今作中にもある桜木花道のセリフ「オレは今なんだよ!」、この一言で瞬く間に、筆舌に尽くしがたい衝動に駆られました。学生部活のバスケットボールの一試合、長大な人生の尺度から俯瞰したらほんのコンマのイベント。その刹那、普段交わることのない人間たちの感情ベクトルが、とんでもない密度で一瞬、交差する。二時間という短い間でしたが、この密度でしか表せない強烈な「何か」に出会えた作品でした。近いうちに、原作も読みたいですね。

 

洗練されたボール・シューズ音、反響する歓声、作品の中に彼らは「生きていた」と言える確かな存在感――

 

この日2時間、俺は確かにあのコートで彼らの試合を見届けていた。

 

そう、断言できる。

 


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解釈のうえで、闇鍋はにわ氏の感想記事も非常に参考になりましたので、引用させていただきます。

 

 

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