カリーパンの趣味備忘録

視覚から得る情報の雄弁さは計り知れない。

自分が思う創作との向き合い方について。(自己紹介)

 皆さんこんにちは!カリーパンと申す者です。

 普段はTwitter(@animekaripan)にて主にアニメ(+α)の感想を簡潔に呟いておりますが、まさかこんな長文を書きたい、と思う日が来ようとは(笑)ブログ開設の動機等も含め、最初の記事は軽く自己紹介となります。拙い文章ではありますが、どうか肩の力を抜いてテキトーに読んでってください。

 アニメを軸に展開していきますが、別趣味もチョロっと入るかもしれません、よしなに。

 

1.アニメの沼にハマったきっかけ

 幼少期から、テレ東系列を始めとした児童向けアニメは人並みに見ておりました。ポケモンドラえもんイナズマイレブンクレヨンしんちゃん…etc。

 決定的にアニメに対する意識が強まったのは、放送当時中学生、友人に勧められて「進撃の巨人」、それも“5話”を目の当たりにした時です。

 

shingeki.tv


 というのも、勧められて「よし、見よう!」と思い立って録画したのがたまたま5話だったんですよ(笑)。視聴した方は分かると思いますが、主人公が○○られたりとかなり衝撃的な回なんですよね。「世の中にはこんなアニメがあるのか…」と、齢十二にしてとにかくいろんな事を痛感させられたものです。

 ともかく当時「進撃の巨人」に親もハマりだし、他に面白い深夜帯のアニメはないものか、と番組表をガチャガチャしていたところ、「これ面白そうじゃない?」と親の勧めで一緒の見始めた、丁度進撃の次クールに放送していた「銀の匙」。この二作から、徐々に深夜アニメの沼にハマっていった次第です。


『銀の匙 Silver Spoon』第1弾トレーラー

2.感想を書き始めたきっかけ

強いて具体的に作品を挙げるならば、「STEINS;GATE」、「ダンガンロンパシリーズ(ゲーム)」が皮切りですね。

 

ダンガンロンパ1・2 Reload - PSVita

ダンガンロンパ1・2 Reload - PSVita

  • 発売日: 2013/10/10
  • メディア: Video Game
 


 中三の頃にこの二作に触れ、「この作品を好きな人と交流したい!」と思い立ち、始めたSNSが「Google+」。主に高校時代は男臭い青春の傍ら、休日に時たまアニメ映画を見ては、Google+に拙い感想を書き連ねておりました。ちなみにこの時期に触れた作品は、「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!大人帝国」や「イヴの時間」、「AKIRA」に「パーフェクトブルー」などが強く印象に残っています。

 しかし2018年末頃に、Google+のサービス終了が決定。さてどうしたものかというところ、SNS内にて「Twitterアカウントを作った」と移動を始める人がチョコチョコ現れ、自分も流れ的にアニメ用Twitterアカウントを作った次第です。

 結局経過の説明みたいになっちゃったけど、要点を抜き出すと、感想クラスタSNSに興味を持ったきっかけは「サブカルチャー好き同士、意見交流したい」ってこと。


3.主観的なアニメ感想(考察)における意識

 ここからが一番喋りたかったこと。

 感想を書く・読む上において、「正解はない」ということを大前提においています。だから自分のスタイルで自由に感想を書きたいし、そういう感想を読みたい。もちろん、誤った解釈や誤字は指摘し合える程度の空気感は必要だと思うけど。

 簡潔に感じたことを述べる人、考察を主軸とする人、批評が主軸の人、絵的な魅力・演出やキャラクターの心情に寄り添った感想を書く人、社会風刺と物語構造の縦軸関係に視点を置く人…etc。様々な着眼点があるからこそ、作品の色んな側面が可視化され、気づけることが増えていく。SNSなどを通した視聴者交流の場は、こと創作を楽しむ上において欠かせない一要素だと考えます。

 日々Twitterのフォロイーさんや目を通したブログ等に触発されて、それが一番のモチベーションになっております。自分の感想は、同じ作品でも各回ごとに全く違うテイストだったり、視点があやふやだったりすることが多いので、一貫した着眼点で感想を書ける方が羨ましかったり。

 

4.好きなアニメ

挙げだすとキリがないので、パッと思いつく作品を何作か列挙(あまり絞れなかった😢)

何作かピックアップして、簡単な雑感をば。

  • 進撃の巨人

     自分にとって、深夜アニメへの切り口を開いた決定的な作品。初見当時の自分には未知と魅力しかない作品だったなと。

     「鳥籠の中(ディストピア)」や、食物連鎖の頂点が塗り替わった世界での捕食関係は、後の作品(約束のネバーランド、東京喰種etc.)に多大な影響を与えたと思う。ここを起点にハードなバトル作風が増えたイメージ。アニメ、漫画史に残る名作ですね。

  • STEINS;GATE


    TVアニメ「STEINS;GATE」プロモーションムービーC79

     この作品も、自分の創作における意識の大半を構築した一作。今までで一番ハマった作品、と聞かれたら今作を挙げますね。
     巧みなストーリーテリングにキャラクター毎の機敏な心情の動き、何より厨二臭さすら感じるビジュアルに感銘を受けたものです。「ノベルゲー」という、自分にとっての新たな切り口を開いてくれたのもこの作品。

  • 彼方のアストラ

     最近の作品からも一つ、ということで。

     ここ最近の中で、一番「次回が楽しみ」かつ「皆さんの感想を読むのが楽しい」作品でした。叙述トリックの効いた、本格的なSF作風にはかなり感動したものです。また、「親元に帰ろうとしない子供たち」「放り出される子供たち」という構図は、どこか社会風刺を彷彿とさせるもので印象的だったのをよく覚えています 。

5.おまけ

 〇好きなゲーム作品

 ストーリー性重視の作品を列挙。

・ニューダンガンロンパ2 ・STEINS;GATE  ・CHAOS;CHILD ・沙耶の唄

Ever17 ・ポケモン不思議のダンジョン 空の探検隊 ・Undertale

 

 〇好きな漫画作品

 荒川弘先生、松井優征先生辺りが好きかも。

銀の匙 ・鋼の錬金術師 ・ぼくらの ・なるたる ・魔人探偵脳噛ネウロ

FAIRY TAIL ・最終兵器彼女 ・少女不十分 ・暗殺教室 ・デスノート

おやすみプンプン ・All You Need Is Kill

 

6.〆

 最後となりましたが、このブログはかなり不定期な更新になると思います。140字以上の思いを伝えたいとき、ネタバレ配慮で感想を書きづらい映画やノベルゲームのこと、適当な企画...etc

 改めてよろしくお願いします。拙い文章になるとは思いますが、どうかご贔屓にしていただければなと。ではまた次回👋

「映画大好きポンポさん」感想ー命を捨てても曲げられない信念について。

映画大好きポンポさん、中川コロナシネマワールド シネマ12 10:20〜回にて鑑賞しました。

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公開日からかなり時間を置いての鑑賞となってしまいましたが、上映館でのラスト上映ということもあってか、かなりの着席率(ほぼ満席)で驚きました。当然パンフレットは売り切れで涙チョチョギレ。即通販で注文しました、というのも平尾監督のインタビューがどうしても読みたいんですよね。

今作は杉谷先生の「漫画原作」作品→平尾監督の「オリジナルアニメ」というアダプテーション構造だからこそ可能である、「平尾監督の自伝だったのではないか」というあくまで自己解釈のもと記事を展開していきたいと思います。無論、ネタバレ全開です。

 

目次

 

 

①演出について

 改めてご紹介、平尾隆之監督。同監督作品「空の境界 矛盾螺旋」は、空の境界シリーズの中でも特別好きな作品だったため鑑賞前から意識してましたが、想像以上に彼の特色が色濃く現れていて驚く。

まず彼のフィルムで面白いのが、流動的に流れている時間を、あたかも反復したり巻き戻したりしているように錯覚させにくる。

 

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このシークエンスは必見レベル。演出の凝り方が半端ではない

空の境界 矛盾螺旋」の序盤のシーンは特にその傾向が顕著で、ドアノブを回すというイメージカットから始まる日常、繰り返し一日の経過を告げるからくり時計…。時間が順行せず、場面反復が繰り返される演出は、奇しくもその時間の中に囚われてしまったかのような感覚に陥る。或いは物語が「転」を迎えると同時に、「一方その頃」と言わんばかりに別キャラクターの主観に切り替わる構成も、非常に実験的で面白い。

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左:矛盾螺旋、右:ポンポさん。平尾監督のフィルムはタイムラプスも象徴的

こういった演出の面影は、今作「映画大好きポンポさん」でも顕著だったと思います。ジーンが映画を編集する際に、バンク的に繰り返される劇中作「MEISTER」のカットは、如何にシーンを繋げるか葛藤するジーンの心情と密接にリンクしていたように思うし、キャラの主観が切り替わり時間軸も飛ぶ平尾監督特有の時系列シャッフルも、序盤のジーンとナタリーの邂逅シーンにて用いられていた。

 

また、撮影工程より編集のプロセスに重きを置いていた今作において、マッチカットの多さはやはり無視できない点だった。

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矛盾螺旋で一番好きな演出。

例によって「空の境界 矛盾螺旋」でもこの演出の使い方はかなり印象深かったし、今作ポンポさんでも、頻りにカットとカットの切断面でマッチカットやトランジションを用いていたのは、正にジーンの「編集」における拘りへのフォーカスに他ならないと思う。

 

②ポンポさんは何が「切除」されていたのか

上記で挙げた演出の特徴はあくまで平尾監督のフィルム面における特色、記号でしかない。作品の中に平尾監督自身が「居る」と感じてしまったのは、今作「映画大好きポンポさん」の別の側面にもある。それは正しく、「原作と今作の相違点」だ。

映画では、「MEISTER」の制作に行き詰ったジーン君が、ポンポの父であり名プロデューサー・ペーターゼンと言葉を交わすシーンがある。これは映画のオリジナルシーンの一つであるが、ここでペーターゼンは、ある言葉をジーンに投げかける。

「君の映画の中に君はいるかね」

ここでこの物語のテーマの一つがわかった。「自身の存在意義」である。そして面白いことに、このテーマは平尾監督の作品すべてに通ずると言える。

平尾監督はオリジナル作も何作か手掛けているが、主に知名度があるのはやはり「GOD EATER」や「空の境界 矛盾螺旋」になるだろう。しかし平尾監督は、原作を映像作品へアダプテーションすることに長けているというよりは、寧ろ個性的で「作家主義」なクリエイターであると言える。

特に平尾監督は、「空の境界 矛盾螺旋」でも、「自身の存在意義」に対して真摯的に向き合っていた。「偽物」であるということを突き付けられた臙条巴が、賢明に存在意義を模索する姿は、正に自身の投影でもあっただろう。

ここで第一項の演出の話に戻るが、映画大好きポンポさんを制作するにあたって、他の誰でもない「自分が監督する意味」というのを強く感じた演出意図、オリジナルシーンの数々であったように思う。ジーンがマーティン演じる劇中のキャラとリンクしていくストーリーテリングも、平尾監督と映画大好きポンポさんの関係性そのものをメタ的に表した構造であったのだ。しかしフィルムの中に投影されていたのは、何も監督だけではない

 

今作「映画大好きポンポさん」は、ハリウッドの闇の背景の一切が切除された「ニャリウッド」という虚構の中で、「幸福は創造の敵」など制作側独自のクリエイティブに対するかなり鋭利な思想が随所に配置されている。そういったクリエイティブに対する独自の姿勢を描いた今作の中で、もう一つ大きなテーマとしてあったのが「選択」、あるいは「切除」といっても差し支えないだろう。

まず最初に自分が引き付けられたジーンの台詞がある。

「売上とかスタッフの生活とかどうでもいい、編集が楽しい。」

 

ちょっとお話が逸れるのだが、自分はここで「チ。-地球の運動について-」という漫画を思い出した。この漫画も面白いもので、地球の公転・自転運動についての講釈垂れ流しな教科書漫画かと思いきや、そういったうんちく要素や、細かい舞台背景や地名などは寧ろ無駄なものとして「切除」されており、「学者の初期衝動や矜持」に一切の焦点が置かれている。そんな今作のワンシーン、女性の社会的立場が厳しい時代背景の中、論文もまともに公開できないでいる天文研究助手・ヨレンタが、天文に関する難問を解くために資料室に潜入する場面で、こんな台詞を言うのである。

「悪いこととかどうでもいいから、これの答えが知りたい。」

学者もクリエイターも根底は変わらない、作りたい・知りたいという初期衝動を行動力へと変換させている。しかしここで更に面白いのは、ジーン君の場合はこの作家の初期衝動」の描きが至極極端なのである。

まず一つ前提としてここはニャリウッド、現実(ハリウッド)のようにブラックな面は意図的に省かれており、映画の納期が迫りくることに対して強く言うものはいない。しかしジーンはあろうことか、自分の手によって自分自身を追い詰めていく。自発的に寝ずに編集をおこなう等の過度な行動を繰り返した結果、彼は倒れて病室へと送られてしまうのだ。クリエイティブに対する姿勢として、自己犠牲にすら肯定的な描写。

そしてもう一つ、何を言ってるのかと思われるかもしれないが、この物語はジーン及びその周囲の「恋愛」の一切が切除されている。

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なぜなら僕は、男女がプールサイド&花火の下で逢瀬を交わしたら、恋愛が始まるものだとラブコメに教えられてきた世代だからである。しかしあろうことかジーンは、ナタリーに見届けられながら編集する際も、彼女に(形式上)手を重ねられても微塵も狼狽しない。自分が言いたいのは、「映画作りが主題だから恋愛がない」というわけではない、お約束のようなカットを意図的に配置し、そのうえで「それは無駄である」として切り捨てているのだ。

自分はこの一連の「切除された」描写に驚くとともに、少々困惑を覚えた。それは紛れもなく自分自身が、時に逃げることの大切さ、人生の寄り道の大切さを、幾度となくアニメをはじめとした創作に教えられてきたからである。しかし自分はこの映画に、というよりジーンに自分を見つけてしまったのである。何故なら、ジーンが「映画」それだけを選択し突き進む姿は、今までも、そしてこれからも無限に連なっていくであろう「選択による後悔」を想起させ、のめり込んでしまった。或いはナタリー、そしてアニメオリジナルキャラであるアランだってそうだ。ジーンが自身の存在意義を模索し、何もかもを切り捨てる姿に突き動かされたのではないか。ポンポさん(≒作品という概念そのもの)のためだけに映画を撮るジーン(≒平尾監督)という究極のエゴイズムが、奇しくも劇中キャラや、何より観客である自分に刺さった。「特定の誰かのために作った作品が、それを必要としていた不特定多数の誰かに刺さる」、これこそがクリエイティブの本質だったのだと今一度思い出させてくれる作品だった。

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最後に

ということで映画大好きポンポさんの感想でした。ここからは(というかここからも)妄想話でしかありませんが、平尾監督って、今敏監督の「千年女優」の制作進行もされているんですよね。

千年女優 [Blu-ray]

創作は形骸化せずその時代の人々の心に千年住み着く」、そんなメッセージを受け取った平尾監督が、今敏監督が遺した先鋭的で美しいアニメーションを受け継ぎ続ける。そこでまさに「空の境界 矛盾螺旋」「映画大好きポンポさん」のような原作付き作品問題、即ち「自身の存在意義」にぶち当たる。しかしそのフィルムのなかで、自身の身を削りぬいてでも躍動するキャラクターたちに、やはり「平尾監督自身」を感じてしまうのだ。自分にはこういった生き方はできないだろう、しかし保身ばかりではなく、「クリエイターになるか、死ぬか」という覚悟で何かを切る捨て続ける人たちにとって、ニャリウッドという最低限の夢をみせてくれる今作は、少しばかりのインセンティブの役割を果たした佳作であることは間違いないだろう。

だから自分は、同じく初期衝動に突き動かされる者たちの物語である「チ。-地球の運動について-」のキャッチコピーを借りて、この記事を締めようと思うのだ。

 

命を捨ててでも曲げられない信念はあるか?

 

世界を敵に回してでも貫きたい美学はあるか?

 

©奈須きのこ / 星海社講談社アニプレックス・ノーツ・ufotable
©2020 杉谷庄吾人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

 

 

「白い砂のアクアトープ」1話感想ー逃避と挑戦、メンタリティの描きを考える。

満を持して再始動しました、篠原俊哉監督。「色づく世界の明日から」でも監督を務められているし、「神様になった日」絵コンテ回でもかなり印象的なカットが多かった点も記憶に新しいです。

 

karipan.hatenablog.com

 新作の初回を見る際に自分が重要視している点として、「如何に序盤でキャラクター造形を掴ませにくるか」という点に重きをおいて鑑賞しますが、そういった意味では、主人公の一人「宮沢風花」の描写はここ最近の新作アニメ描写の中でも、一際優れていたように感じました。

というのも今作はまず、風花が部屋を売り払う〜沖縄へ向かうというシークエンスから物語が始まりますが、この時点で

自分から夢を諦めた

お人好しではあるが、主体性を放棄している訳では無い

「譲歩」以外においてはかなり行動的なメンタリティの持ち主である

ということがわかるストーリーテリングの情報量の開示に感心しました。

他人に権利を譲歩したとはいえ、そもそも地方から上京してきている時点でかなりの行動力ですし、夢への想いもかなりのものだったと読み取れます。また、逃避目的とは言っても、あてもなく沖縄に行ってみようという気概も中々のものです。しかしこういった描写はやはり、彼女の「譲歩と行動力」の塩梅を表す上では十分すぎるものでした。

そしてこういった彼女の人間性は、篠原監督によって初回の時点でかなり深部まで掘り下げられていきます。

 

①彼女の芝居付けから分かる人間性

彼女の細かな所作に注目してみても、面白いくらい人間性が読み取れます。

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例えば序盤、事務所にお礼の挨拶へ行くシーンでは、自身の振る舞いのやるせなさから、思わず立ち止まってしまう足の芝居付けをフレームに納める意味合いは、後述する理由からもとても強かったように思います。或いはAパートの彼女を捉える上で多い余白の多いカットやロングショットの多さは、彼女の心の隙間を描く上で非常に雄弁でした。


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また面白いのが、喧騒や逃避を描いたAパートとは対照的に、Bパートでは一気に劇伴の雰囲気やテンポ感がスイッチされ、くくるの日常世界へ没入していくコンテワークに思わず魅入ってしまいました。

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FIX*1を中心に映される彼女の日常、しかしその中でも「何か」があると思わせる逆光やライティングの塩梅が絶妙。

 


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閑話休題、ここで面白いのが、篠原監督が多用するプロップ芝居*2。今作ではアイスクリームを用いた演出でしたが、「色づく世界の明日から」、「Charlotte」ではポッキーを用いた描写が象徴的でした。

 

 

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話を戻しますが、占い屋に捕まったシーンでは、占い屋が右手を差し出すことを要求しているのに対して、普通はアイスクリームを左手に持ち替えるところを、風花は口で持ち上げようとしています。また、スマホで親に連絡しようとするシーンでは、メッセージを打ちかけてしまってしまう一連の描写。彼女のお人好しな人間性の裏には「他者に譲りきれない何か」が共存していて、彼女の中でそういった対極にいる2つの心情が常にせめぎ合っていることが分かる描写がおもしろく興味深いです。

 

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だからこそラストシーンにて、序盤では踏み出しきれなかった足がフレームアウトしていく描写は筆舌に尽くし難い感情の揺らぎを感じてしまいました。他者に同調してしまう気持ちの中で、どうしても自分を変えたいという気持ちをここまで画として描き出せるんだなっていう。

 

②風花の心情のベクトルの描き

また序盤の足のシーン、上手方向へ歩くのを躊躇った風花、以降の逃避シークエンスでは上手に行ったり下手に行ったりという描写が印象的で、それは正に彼女の逡巡の想いとして描き出されていました。

 


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そういったベクトルへの意識が、ラストで再び上手へ踏み出すシーンに繋がっていくのは言うまでもないですが、くくると風花の視覚的な位置関係の描写においても例外ではありません。逆光で描かれた二者のショットが、想定線を逸脱して順光に切り替わったのも、徹底した風花の心情の移り変わりの描写、或いはくくるとの対比構造がテーマである、ということが初回から分かります。

 

③篠原監督特有のモチーフ性

神様になった日」5話を記事として取り上げた際にも言及しましたが、篠原監督の特徴として、「静と動」の転換はやはり外せない要素だなと痛感した初回でもありました。

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主に水族館でのシークエンスでそれは一気に顕著になるわけですが、「凪のあすから」「色づく世界の明日から」の系譜から、海かシンボル的に用いられることも分かります。

 

また初回では、色づく世界の明日からの劇中劇で登場していたペンギンか特にモチーフとして強調していたように思います。

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Cパートラスト、率先して海へ潜るファーストペンギンのモチーフ。「輪るピングドラム」でも用いられているギミックですが、ピンドラでは自己犠牲の象徴だったのに対して、やはり今作では「チャンスがあれば掴み続ける」という風花のメンタリティの描きに他ならないと感じます。

 

というわけで、宮沢風花の人間性を、篠原監督の作家性と結びつけて考えてみたの巻でした。お話的にグッと惹かれた訳では無い、しかし初回でここまで一人の人間性を掘り下げるフィルム作り・ストーリーテリングにひたすら感心させられた回でした。とはいえ気になってくるのはやはりくくるとどのように関係性を紡ぐのかという点であり、今後どのように描かれていくのか楽しんで鑑賞する予定です。

*1:カメラ固定

*2:演劇や舞台における小道具を用いた芝居付け

生存報告と近況、最近買った漫画の雑感や今後について

・生存報告と近況

お久しぶりです(といっても二週間ぶりくらい)、カリーパンです。ってか暑いな今日。ここだけの話、自室で半裸状態のまま記事書いてます。まだほんの少し花粉を感じるので、網戸に抵抗がある。

 

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とりあえずアニメージュ6月号は購入。「美少年探偵団」OP絵コンテ・梅津泰臣氏のインタビューも拝見したので、その感想等をふくめた今期OP記事を近日更新予定。

 

Twitterはゲーム用アカウントはちょくちょく確認していたのですが、アニメ鑑賞やアニメ垢にはすっかり手が回らず。というのも、今更モンスターハンターライズにハマってしまうという、、、

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やりすぎ侍


とはいえやることも少なくなってきて、さて是非ともアニメ鑑賞を楽しませていただこうという心持ちだったのですが、実は最新のアップデートが5月末にあるそうで(笑)。最近はやるべき事以外全てゲームの方に手が回ってしまってますが、当然アニメも並行して楽しみたいのが本音ではあるので、時間管理をしっかり心がけていきたいなと。

 

そしてもう一つ大きなことといえば、就活が緩やかに始まりつつあることでしょうか。学校主催の就職ガイダンスやインターンシップのすゝめ等、コロナ禍のなかひっそり忍び寄る現実的問題に些か頭を抱えておりますが、正直実感がまだ強く持てていないのが現状。何かしら資格を取りたいなとは思いつつも全く動けていない、お先が真っ暗だぜ。


離れていた理由としては上記のとおりなんですが、もう一点あげるとするならば、どうしても数字を見てしまう自分に嫌気がさしていることでしょうか。

自己表現と自己満足の境目。最近は自分なんかよりも素晴らしい感想クラスタさんたちを多く見かける中で、どうしてもいいねやRTの数字を気にしてしまう、或いはついえごったーを確認してしまう自分がすごく嫌い。弱者である以上、このルサンチマンと一生共存することになると思うと頭痛がするが、ちはやふる著者・末次先生のとあるブログ記事の一節が頭から離れない。

note.com

比較は毒でしかない。(末次由紀)

あなたの感想があり、そして私も感想もある。SNSで発信している以上自己満足の土俵から降りれないことは承知の上、その分自己表現を高めていきたい。他人を妬むより自己を磨く、足掻きます。

 

・最近買った漫画の雑感

さて、久々のレビュー投稿の慣らし程度に、最近購読して満足度の高い漫画を何冊か。ネタバレはなるべく避けますが、一応ご注意を。

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チ。―地球の運動について― 1-3巻

亜人 17巻

少年のアビス 1-4巻

 

まずは「チ。―地球の運動について―」。

 

これはね、熱すぎる。事前情報ゼロで読んだのですが、割と理詰めな作風を予想していたのもあって、一層込み上げるものがあったよ。2話の時点で涙腺にきた。正に現代社会で忘れ去られている、「投身してでも貫き通したい自己の美学」が投影された作品。前へ倣えではなく常に感動を突き詰める。
自分はDr.STONEも凄く好きなんだけど、どうして学者どもはこうもロマンチストばっかなんだ。自身の持つ直感とイマジネーションを信じてやまない学者たち。理想郷を垣間見るだけでなく、寧ろそれを実現しようとする彼らの姿は胸を打たれずにはいられません。

 

そしてお次は「亜人」、17巻にて最終話を迎えました。

 

亜人(17) (アフタヌーンコミックス)

亜人(17) (アフタヌーンコミックス)

 

原作者の途中離脱など大変だったと思いますが、長期連載本当にお疲れ様でした。原案者の三浦先生の手腕は勿論のもと、徐々に桜井先生の作家性を帯びていく感覚は、リアルタイムで購読していてとても楽しかった。ハードボイルドな作風やSF要素、徹底的な拳銃描写へのこだわり等どことなく虚淵フォロワーを思わせる場面にも思わずニッコリ。
佐藤との決着(詳細は伏せます)が案外あっさりしていたのもよくて、寧ろそういった節々の描写の素朴さが、死なないだけの「人間」たらしめているんだなと。ここからは完全自己解釈ではありますが、不死の人間とは即ち、何度でも立ち上がる不屈の精神のメタファーだったのではないか。だからこそ、1話と最終話で対比された車で轢かれる描写。逃げる側から進む側に、人種差別社会(の中でのテロ攻防)を軸とした物語の中で、かなり上手く今作なりのヒューマニズムに着地したと思う。

 

最後に「少年のアビス」。

 

文句なしのサスペンス×ラブコメ(笑)です。例えるなら、ドメスティックな彼女がよりエンタメ性を帯びて見やすくなった感じでしょうか。主人公に不快感を感じさせずに女性と絡ませる展開の巧さ、閉塞的で陰鬱な作風ながらもキャラクターの濃さで作劇が回転してる様は痛快。今後の展開に期待が高まる一作です。

 

現在購読している作品

・チ。―地球の運動について―
・少年のアビス
・推しの子
・Dr. STONE
・スパイファミリー
・葬送のフリーレン
・僕の心のヤバいやつ
メイドインアビス
・メダリスト
ワンパンマン
・怪獣8号

とはいえワンパンマンは惰性購読に近く、怪獣8号も徐々に好みから乖離し2巻以降購読保留中。読んだ漫画で気になったものはこれからもぼちぼち呟こうかなと

・今後について

中盤で何やらめんどくさいことも書きましたが、とりあえず平常運転で徐々に今期アニメに追いついていこうかと思ってます、これからも何卒

スーパーカブ1話とゆるキャンの演出備忘録

スーパーカブ」1話、アバン。ドビュッシーの楽曲を背景に映される美しい風景の移り変わりは、何気ない日常、1日の始まりを告げるには十分すぎる描写だったと思います。だからこそ、その劇伴・風景の流れが小熊の目覚まし時計を止める芝居と連動して静止する演出*1がとても良くて、それはまさに幾多もの日常の中でも、小熊だけの日常へ没入していく転換点として描かれているように感じます。

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スーパーカブの購入・免許取得の即決、或いはパンを立ち食いしたりと、見かけに寄らずかなり豪快な行動が面白いのですが、寧ろそういった行動の中でも普遍的な女の子らしさを強調させる、FIX×長回しの日常芝居がとても映えます。カット割を多用しないことによって、「アニメというパイプを通して彼女らを見ている」というメタ視点が薄れ、「彼女らと流れゆく時間を共有する」感覚が心地よい。

 

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そういったカットを切り出し始めたらキリがないのですが、例としてこことかもそう。トラックとのすれ違いを思い出して固まる間の取り方とか、瞬き、或いは落ち着いてお茶を飲む。FIXによって動きに目が集中するし、長回しによる時間の切り取り、共有している感覚が感じられるカットが随所で良い。

 

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女の子らしさといえば、Aパートで坂道を登るシーンなんかもそうです。必死に坂道を登る息遣いやネガティヴな独白、嫌なときに嫌なことを連想してしまう、というメンタリティの描きが至極リアルで、漕ぎゆく小熊を正面から捉えたカットが重みを帯びてじわPANされる演出も、そういった小熊の心情にフォーカスしたものに感じられました。

 

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だからこそラストカットにて、自転車を漕いでいた時には感じられなかった風を感じさせる自然な髪のなびき、或いは手前から奥へ突き抜けていく小熊を捉えたPANアップが、前述の自転車シーンと対比となっているのが凄く良い。

 


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対比と言えば朝のルーティンを捉えた一連の日常芝居もそうなのですが、レトルトを選びとる手の仕草に迷いが無くなっていたり、また窓から顔を覗かせればスーパーカブが迎え入れる。彼女の中で特別大きな変化があったわけではないですが、空洞で無色だった日常が確かに色づいていく。日常の切り抜きを垣間見る感覚にどうしようもなく心が奪われていきそうです。

 

そして「ゆるキャン△ SEASON2」。京極義昭監督特有の写実的なフィルム構成は、アニメを彩る造形豊かなキャラクターたちと共存することで、ある種の化学反応的な効果を起こしていたと思います。なでしこやしまりん達の可愛らしい仕草にほっこりさせられる中で、カメラマップや広角レンズを駆使したレイアウトは目を引くものがありましたが、そういったカットは決して「ゆるキャン」の世界の中で異質なものではなく、寧ろ彼女たちが彼女たちであるための世界そのものでした。

特に目を引いたシークエンスは、9話、13話のツーリングをする場面。どちらの挿話も京極監督が絵コンテに参加されている点からも、強めな演出意図を感じられました。寧ろ9話は、ツーリングの場面に限らず、終始光源の使い方・ライティングの塩梅に細心の注意が払われていたように思います*2

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家族間の会話のインサートで挟まる、こうして薄く照らされた廊下のカットもそうです。「敢えて」余白を省かない。それはやはり、作中の世界に生きているキャラクターたちの生活感を重んじる上で、効果的なコンテの切り方に感じました。

或いはその後のツーリングの描写だって、りんたちにとっては日常というインサートの延長線上だったのだと思います。


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それは一点透視図・ライティングの点で廊下のカットと類似性のあるこういったトンネルのカットもそうですし、ヘッドライトや月などのりんと大塚の二人を照らし続ける光源に、温もり・慈愛を感じさせられました。またこれはスーパーカブにもいえるのですが、独白・ダイアローグの一切が切除され劇伴に仮託されたシーンが多いのに、思わず感情移入をしてしまうフィルム作りが本当に素晴らしくて、「距離感・心情の説明をわざわざ文字に起こさなくてもいいよね」という読み手を信頼した作り手の投げかけに感動しました。

 


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そして13話(最終回)。9話のツーリングでも挟まれていたりんの口を開く仕草と連動して、富士山をBGとしたロングショットが対比となっているのがとても良かったです。進行方向の逆転、上手から下手への帰還。それはまさしく、「帰ってきた」というりんの安堵感を捉えた画として、とてもよい対照性の構図でした。

 


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そして最後、これは演出意図というより脚本の話に近いのですが、コンビニの描写について。スーパーカブゆるキャン△の共通項でもあり、どちらかというとスーパーカブの方の小熊が安堵する芝居が挟まるのがすごくいいんだけども。どちらも状況設定として夜間であることが良さを引き立てていますが、淡いライティングで照らされたコンビニは、少なめの登場人物にフォーカスする両作にとって、人に溢れた世界で生きているという生活感がより強調される舞台装置となっているのがいい。彼女たちが紛れもなくそこにいるという実感、フィルムの向こう側の世界という垣根を超えた「時間を共有する」ことの意味。

 

スーパーカブで画的に描かれる彩度の転換、ゆるキャン△による洗練された画面レイアウト。彼女たちの中で劇的な変化があったわけではない、寧ろゆっくりとした時間が流れゆく、そこにドラマの行間として生活風景が流れる意味。変に動かすわけではなく、寧ろ覗かせてもらうような静かなカメラワーク、或いはささいな生活音という「生の実感」にどうしようもなく心を掴まされてしまうわけです。

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©Tone Koken,hiro/ベアモータース

©あfろ芳文社/野外活動委員会

*1:目覚まし時計が止まると、劇伴も止まる

*2:スーパーカブ1話でも、彼女の心情とリンクする彩度の転換・撮影処理が印象的でした

まごころのリビルド、旧劇のアンサーとしての受容―「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」感想

まず初めに、ネタバレ全開でお送りする点をご容赦ください。
正直感想というよりは断片的なメモ書きに近いので、読みづらかったら申し訳ない。あくまで他人の一解釈として理解に役立てていただけたら幸いです。

 


『シン・エヴァンゲリオン劇場版』本予告・改2【公式】

 

 

まず映画の詳細が明らかになった際の第一感想は、「上映時間なげぇ」です。いや、正直に。ハルヒ消失を思い出すアニメーション映画としては特例的な尺、しかし自分はその事実をマイナス的に捉えたのではなく、寧ろ今まで自身が繰り広げてきた虚構劇に落とし前をつけるという、庵野監督の意志表明に感じ取れました。

 

そして見終えた今、第一の感想としては、「徹頭徹尾、『Air/まごごろを、君に(以下旧劇)』のアンサーフィルムだった」という印象です。当然、対比の意味で。
まず冒頭、圧縮された情報量によって生まれる密度で描かれる八号機の戦闘シークエンスは、否が応でもエヴァシリーズにおける終幕の始まりを意識させますが、改めて思うと、マリの「どこにいても必ず、迎えに行くから。」の台詞がラストまで引っ張られるとは思いもしなかったなぁ。

 

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引き続きアバンタイトルにて荒廃した街並みを歩くシンジ・レイ(仮)・アスカの三人、エヴァンゲリオンの中では度々象徴的に表される電車や線路といった「運命」のメタファー。旧エヴァンゲリオンで既に敷かれたストーリーライン(線路)を真っ二つに跨いで横断せんとする三人の姿は、終幕を痛感させるには十分すぎる描写だったように思います。

 

そして思わぬ人物・トウジの登場により、物語は「大きく形を変えた世界の中で、我武者羅に日常を堅持せんとする人々の営み」へとシフトする。「―せい」という観点(自慰、セックス等)から他者との隔たり・相克を浮き彫りにした旧劇と対をなすように、「―せい」の謳歌という観点から他者とのダイアローグを徹底的に描くシークエンス、ずっと続いてくれと思わざるを得なかった。モノローグの断続性で紡がれていた旧劇のリバウンドのように、会話だけで紡がれていくシンジの心の開き、レイのアイデンティティの形成。破とQ間の空白を埋めるというのは構成上の建前にすぎず、最大級のファンサービス、あるいは庵野監督自身の心の余白が埋められていく感覚だった。モノローグを脱して他者と目を合わせて向きあうことを学んだシンジ、だからこそレイの喪失を目の当たりにしても、逃げ出さずに受容する。そこに罪の重さに耐えられず逃げだす旧劇のシンジはいない、選択したレールで贖罪を背負う「大人」のシンジ。

 

旧劇と相克を成すテーマ性として、「母性」もふんだんに詰め込まれていたように思う。ヒカリの存在、子育ての一片を担うレイの姿は正しくそれを印象付けるものだったと思うし、そういったフィルムへの印象は、ミサト、あるいはミサトから見たシンジと加持リョウジへの思いの描きに伝播していく。寧ろこういった描きにこそ、20年以上もの間、ファンをコンテンツに縛り付けてしまった庵野監督なりのファンへの「母性」、あるいは贖罪につながってくるのではないだろうか。

 

そしてヴンダーだの三号機だの八号機だの十三号機だの、およそ読み手の理解ペースを一切考慮せず、それでもエンタメ性をふんだんに演出するエヴァ「らしさ」を痛感する相変わらずの戦闘シーンには頭が上がらない。そしてこの直後のシークエンス、ここが今作で一番好きだった。容赦なくゲンドウに向けて発砲するリツコ、というこれまた旧劇の対比から始まるこのシーンは、「シンジがエヴァに乗るか乗らないか」という今シリーズでもっとも見覚えのある内輪揉めに移行する。

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旧劇「Air/まごころを、君に」より


シンジに重責を押し付けた責任として銃撃を庇うミサト、状況は違えどここも旧劇と対比のシークエンス。「おっ、大人のキス(笑)か?と一瞬でも思ってしまった俺を許してほしい。そう、今作は抱擁だった。旧劇にて、キスをすることで家族関係という「保護者」の立場から逃げ出したミサトは、しかし今作では、子供たちへの贖罪の在り方として、「家族」として抱擁する。ここでのミサトの矜持の描きは、筆舌に尽くしがたいほどの感情が込み上げました。ここまでクリエイターの心境と物語は、時代によって密接にリンクして変容していくんだな、という感動。叶うなら、アスカも抱きしめてほしかった。

 

かくして始動するインパクト、「アナザー」「現実」「虚構」というワードが頻出するシンジとゲンドウの会話、或いは可視化された人類補完計画の倒壊、表層的には旧劇のメタフィクション脱構築の構造をなぞりながら、しかし本質は全く違う。なぜなら碇ゲンドウは、世界の形を変えてまでも喪失した他者に縋る、権力を持ってしまった場合の天気の子・帆高(権力を持った子供)であるのに対し、シンジは既に「喪失すら自身の糧として受容できる」大人だからである。だからこそ対話を恐れた旧劇と違い、今作のシンジはA.T.フィールド「心の壁」を、補完なしでももろともしない。父が外界との断絶ガジェットとして用いていた音楽プレイヤーを、持ち主へ変換することができる。なぜならシンジは、もう音楽プレイヤーによるまやかしの断絶など要らないから。

 

かくしてキャラクター各々を束縛する役割や過去を、虚構の外側から大人のシンジ≒庵野監督が諭して元の居場所へ返していく。言うまでもないが、このシークエンスがハリボテの中で行われているのは、現実と虚構を繋ぐパイプとしての描き。まるで、自身が長年の間キャラクターたちをフィクションに束縛したことへの贖罪のように。必然返還を終えたシンジは1人になるも、ここでマリが訪れる。碇シンジ庵野監督のキャラクター像の投影であるとしたら、TV版&旧劇での鬱屈としたシンジを見ているだけで当時の庵野監督の複雑な心境が伺えるが、旧劇〜新劇場版公開開始までの間に結婚という人生においての大きなプロセスを得たことで、彼の中で何かが大きく変わったのは確かだろう。思えば、新劇場版においてテコ入れされたマリというキャラクターは、タイミング的にもまさに庵野監督の妻・安野モヨコそのものではなかったか。劇場パンフレットを開いてまず目についたのが

「そして公私に渡り作品と自分を支え続けてくれた妻に感謝致します。」―庵野秀明

の一文。物語の立役者を担いつつも天真爛漫な彼女の立ち振る舞いは、まさに旧劇制作時の彼を変える妻の投影ではないのか。と、ここで思い出されるのが更に旧劇劇中での庵野監督からのメッセージの一文。

「導いてくれたスタッフ、キャスト、友人、そして5人の女性に心から感謝いたします。」―庵野秀明

「5人の女性」が誰なのか、は全く重要ではなく、ここで大事なのは、様々な女性との交流で鬱屈していた実体験の投影が旧劇であるならば、「一人の女性」に導かれたのが今作「シン・エヴァンゲリオン劇場版」ではないのか。

 

ここで物語は終幕、手を取り合うマリとシンジは、ホームの階段を駆け上がり駅の外へと脱したところで実写パートへ、現実へ帰還する。

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電車から線路、線路から電車という循環したエヴァンゲリオンの物語から、駅の外という現実に帰還する意味。「オタクは現実に帰りなさい」というメッセージ性も一見旧劇と同じ帰着点に見えるも、やはり本質は全く違う。現実に帰還したところで、やはり電車に乗ったりなどふとした時にまたこの物語を思い出すかもしれない。そんな時に、そっと夢を見せてあげる、寄り添える。それがアニメとしての在り方ではないのか。だからこそ、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」は「𝄇」という反復記号によって循環される。現実を頑張りなさい、でもいつだってアニメというフィルムに残された創作は見返すことが出来るよ。そういった庵野監督によるメッセージ、ひいては20年近くの間束縛した、大人になったファンを送り出す賛美歌としての彼なりの贖罪、まごころを込めた母性だったように思う。

 

他者と直接的に交わる、或いは傷つけ合うことも生、そう切り出した旧劇も間違いではない。しかしその延長線上にある再三のさよならの物語で庵野監督はファンに告げる、「まごころを、君に」と。

というわけでシン・エヴァンゲリオン劇場版感想でした。もう少し短めにするつもりが、思いの外熱が入ってしまった(笑)

自分なんかは後から履修した年端もいかぬ若輩者ですが、当時から熱心に追い続けたファンにとっては計り知れない喪失感だっただろう、そんなフィルムに思えた。だからこそ、宇多田ヒカルは今作の曲造形の中で、歌詞の中の「喪失」の韻を外したのだろう。敢えて。

ファンの喪失感、キャラクターたちの喪失感、しかしその喪失も背負っていくという大人の意志を示したシンジと庵野監督。しかし人の記憶にある限り永遠に循環するのが創作でありアニメ、だからこそ新劇場版というリビルドの始まりである「Beautiful World」でフィルムを締めるのだ。

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社会的地位という固定観念からの脱獄―『Dr.STONE 第2期』第6話「PRISON BREAK」感想

石神村の科学王国という小さい国家的な社会のなかで、「科学使い」という肩書を与えられているクロム。即ちそれは千空と同じものであるが、寧ろこれまでの物語を見るに、クロムが同じ科学使いの千空より優れている点は、他者から得た経験値を積極的に自身のイマジネーションに取り入れようとする、柔軟な思考プロセスにあると言える。今挿話はクロムという、いち科学使いの矜持に焦点を当てつつ、囚われの身となることで失いつつあった柔軟な思考を取り戻す、即ち科学使いという「固定観念」からの脱却に重きを置いた回だったように思いました。

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今挿話はまず、「上井陽」という人物にフォーカスする描きから始まります。彼の立ち振る舞いはとても本能的、元警官時代の回想からも、寧ろ理性ではなく感情的に人を裁くような人間性だったことが伺えます。そんな本能的に生きる彼ですが、身近な異性に振り向いてもらいたいという「性」が絡む欲求の裏で、「そのためには司の側近という社会的地位を得なければならない」という理性が本能の裏側に備わっていたと言えます。即ち彼もクロムと同じで、社会的地位の大切さは知っていても、そういった肩書きとしての固定観念に囚われている人間として描かれているのです。

 


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だからこそ、「シンプルでいいわ、新世界」という台詞も、格差社会の明快さに慢心する彼の主体性の欠如を浮き彫りにした秀逸なものと言えるし、格子越しに視線を交わす二人の構図も、クロムが状況的に囚われていると同時に、陽もまた固定観念に囚われていることを表しているように思えました。

 

かくして外部から投げ入れられた電池(羽京?)で発火を試みるも失敗、陽率いる監視軍団に見つかってしまうわけですが、ここでクロムは気づいたはず。感情を忠実に発露するだけの陽の幼さに。科学は自己顕示という感情の発露のために用いるのではなく、直感とイマジネーションの連鎖が生む理性的な事柄であるからこそ、優位性を錯覚させるペテンの演技に痺れる。

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そして遂に脱獄決行シークエンスへ。千空から得た現代化学、ゲンから得たペテンの使い方と、現代人から受けたインスパイアを自身のインスピレーションへと昇華しきったクロムの脱獄劇は痛快なものでしたが、寧ろそれより心を打たれたのは、ルリを救いたい気持ち・未知を既知に変容させていく楽しさ(採集)が、そのまま彼の経験値として活かされていた点にあります。

 

「科学使い」、千空と同じ肩書ながら、寧ろ理詰めな固定観念から脱却することで改めて獲得できた「クロム」唯一無二のアイデンティティ
序列が生じている司帝国と、個々の技能・アイデンティティを何より重んじることで対等性が生じる科学王国。クロムは立派な、かけがえのない科学王国の一員である。

 

©米スタジオ・Boichi集英社Dr.STONE製作委員会

イナズマイレブン 第10話「帝国のスパイ!」感想 ― 個の確立を描くジュナイブル

こんにちは。
さて期末レポートも一段落、バイトも終わって土日に溜まったアニメでも見るか!と意気込んでいたのに、イナズマイレブンをぶっ通しで見返してしまうという体たらく。なんなんだコイツは(俺)。

というのも最近、有名配信者・加藤純一さんにハマっておりまして、そんな彼が熱狂的なファンからのプッシュで手を出した「イナズマイレブン」のゲーム配信。思い出補正でとても懐かしく感じたと同時に、「そういえば無印は当時途中からの視聴だったな」と思い出して急遽見返しているわけであります。率直な感想として、「めちゃくちゃ面白い」。夏美ちゃんってこんなに可愛かったっけ?とか、必殺技バンクのT.B演出等による迫力感の良さだとか、やっぱり当時と違う視点・発見もあるわけで。てか前置き長いな、とっとと本題。

例えば第8話「恐怖のサッカーサイボーグ!」では、雷門との試合を通して、狭量の狭い大人の抑圧を振り切ってサッカーの楽しさを知る御影専農という展開に痺れたし、第9話「目金、立つ!」では、自分と同じく「何か(マグカフィン)」に没頭できる友人を絶対に否定しない円堂の在り方、個々の持つアイデンティティの尊重という観点において非常に胸を打たれる描写でした。

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第8話より。美女マネージャーは幻想です


寧ろそういった個の尊重・確立を描いた挿話が前座だったのではないかと思うほど印象的だったのが、第10話「帝国のスパイ!」。練習シーンのさなか、逆三角形の形状をしたナイター設備と重なる土門のカット、後に挿入されるサブタイトル画面までの間の取り方といい、異彩を放っていたように感じました。

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逆三角形というモチーフ性は「フラッグ」とも呼ばれますが、自己主張・自己探求といった意味合いも込められており、まさしく土門が自分を見つめ直す今回の挿話において、非常に雄弁な演出だったといえます。帝国側の人間として雷門のスパイを遂行しつつも、円堂のパーソナリティに惹かれつつある土門。そういった罪悪感から生じる逡巡が、ガラス越しに映されるショットや赤信号に気づかない描写などによって構成された一連のシークエンスによって表されていく。

 

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そして次の日、正の方向(校舎)へ歩く生徒たちに交わるように裏方向へ歩いていく土門。スパイとしての目的を遂行するための必然の行動とも言えますが、わざわざカメラ前を通る一般通過生徒を描写する意味合いを強く感じました。そしてここで、帝国学園・鬼道への密告。

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しかしそれは以前までとは違い帝国への異議を申し立てるものであり、そういった鬼道と土門を光影で分け隔てるシークエンス構図。しかしここでイナズマイレブンの一筋縄ではいかないところは、鬼道でさえもまた、自己を模索する人物として描かれている点にある。雷門のマネージャーと兄妹関係であることを開示してから、勝利に固執するあまり内面を捉えようとしない親との食事シーン。これは個人的な印象なんですが、少年ジャンプでいうところの努力:勝利の比率が9:1くらいなんですよね。勝利に固執し社会の規範を逸脱する影山総帥、あくまで努力の過程を重視する雷門イレブンが徹底的に対比で描かれてる。

閑話休題、元々は身内だったもう一人のスパイを切ることで雷門に貢献することを代償に、自身もスパイであるという正体(自己)が開示されてしまう土門。本心と欺瞞による葛藤や罪悪感、何より「周りからの非難」を恐れて逃げ出してしまう描写は、等身大の子供として描写される。そしてここで挿入される回想シーン。故人・一之瀬*1は卓越したサッカーセンスの持ち主であって、寧ろ土門にとって追いつけない選手として描写される。だからこそ感じていた疎外感、近くで埋めてくれる存在がいなかった。ここで第9話で描写された円堂のパーソナリティが活きてくる、即ち彼こそ「自身のアイデンティティ」を承認してくれる存在。

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だからこそ、回想とオーバーラップで重なる過去(一之瀬の背中)と現在(隣の円堂)の土門の描写に、どうしようもなく心を打たれてしまいました。

見てるしかなかった、一之瀬の背中を、追いかけても追いかけても追いつけない。
 でも、円堂は違うんだよ、隣を走ってるんだ。あいつとなら、いつまでも走ってられそうな気がする…

脚本・演出に仮託された熱量。余韻として、対等に描かれる円堂・土門のサッカー描写の良さ。一之瀬という目標から得る「自己承認」と、円堂という「他己承認」を得た土門。紛れもなく、雷門イレブンの一角である。

 

というわけでイナイレの挿話単体に焦点を当てた感想でした。今18話くらいまで見た。
今思えば主人公がキーパーとか渋すぎだろって感じなんですが、常にフィールドの後ろから背中を見ているからこそわかる他者の内面への寄り添い方なのかなとも。とにかくフットボールフロンティア編は、大人と子供の領分のスイッチングが激しく、渋くも熱い非常に好みな本なんですが、調べてみたら2期に入る直前まではゴールデンタイム放送ではなかったらしい、どおりで。
今期の装甲娘戦機もそうだけど、ダンボール戦機といい、レベルファイブ黄金期が懐かしすぎてお涙止まんねーわ。
再びレベルファイブが日の目を見る世界戦はどこですか?

 

©LEVEL-5 Inc.

*1:今挿話時点。