カリーパンの趣味備忘録

視覚から得る情報の雄弁さは計り知れない。

ポケモン×BUMP OF CHICKENのMVに見る、多層的な虚構性

こんにちは。
今週の記事はかのかりの雑感ブログだけかな、と思ってたんですけど、昨日のポケモンダイレクトを見ていてもたってもいられなくなったので、こうして文字に起こしております。言わずもがな、ポケモン×BUMP OF CHICKENのMV「GOTCHA!」についてです。

https://youtu.be/BoZ0Zwab6Oc

いやー、やっぱポケモンのコンテンツ力&キャラクターの魅力はバケモンですわ。絵コンテは「シュガーソングとビターステップ」等の松本理恵さん。舞台演劇を意識した視線誘導だとか、ダンスシーンだけでキャラクター性を雄弁に語るコンテを描くのが印象的な方でしたが、本MVでもその利点が存分に発揮されていたと思います。

まずは冒頭、名作「スタンド・バイ・ミー」を思わせる、線路を歩く四人の少年。ポケットモンスター赤・緑において主人公宅のテレビ画面でもオマージュを確認することができますが、即ち画面の中での出来事、「虚構」であることが印象づけられます。

 

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四人である点からもBUMP OF CHIKEN感凄いけど、違います(笑)

少年・少女(≒我々)は目覚めて、ジムリーダー達をバックに、ポケモンという一つのコンテンツの過去を振り返るように下座(左側)に向かって歩き出す。ここで印象的なのが、こちら側を元気づけるように和気あいあいとしたジムリーダー達なんですが、少年・少女を挟んでモニター越しなんですよね。「ゲーム・アニメの中においての人物」であることを印象付けると同時に、少年・少女が現時点では現実であるように描写されます。ここ大事。

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ゴーストタイプの可愛さ異常。



ここの一連のカットつなぎで特に印象的だったのが、少年の服に映る青空が、そのまま次のカットの背景となって、少女のカットへ移行。時・場所は不一致ですが、類似の被写体を用いてカット転換を試みる「マッチカット」手法。とても遊び心か感じられ、思わず面白いな、と感じました。この辺りは映画「パプリカ」のOPにふんだんに用いられている手法なので、要チェックです(パプリカみとけば大体の演出技法学べて便利すぎる)。

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少し飛ばして、歴代チャンピオン&主人公&ライバルがダイジェスト的に流れるシーン。流れるような躍動感と圧倒的画力、おそらくですが中村豊さんが原画を担当されたシーンでしょうか。ここが涙腺のウィークポイントであり、感動した場面でした。ゲームで体感した名場面が即座に頭の中でリフレインし、叙情的に感情が沸き上がる。キャラクターの表情に寄るカメラワークからカット転換するのですが、それぞれの表情が全く違うのが印象的で。特にBWの描写に感じたのですが、それぞれの場面における熱い感情が流れ込んでくるような、シリーズ毎の時の流れを否応にも実感させられるような、そんな至福のカットでした。

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「このおれさまが! せかいで いちばん! つよいって ことなんだよ!」


ここのダイジェストシーンでも、少年・少女のカットが繋ぎとして挟まりますが、ここでの画面構成も、虚構性を強調するようで象徴的。ガラスを隔てて描かれる少女、あくまでポケモンとは「フィクション」であり、私たちは「現実」を生きるわけで。この境界の存在を執拗に描くのには理由があって、そのあたりはまた本稿の終盤で、自分なりの解釈を。

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手前のガラスは、ガラルのスタジアムかな?

 


そしてラスト、個別に描かれていた少年・少女が遂に邂逅する。最近はネットワークの普及による通信プレイ幅の広がり、更にはポケモンGOのようなアクティブなコンテンツ等、「みんなで楽しむコンテンツ」を売りとしていますが、まさにそれを体現したかのような、メッセージ性の強いシーンのように感じられました。また、モニター越しに見守るかのような、博士たちの視点の描写が一瞬挟まるのも良い。現代の少年・少女の成長に少しでも携われたらいいな、という、開発側の母性のようなものを感じ取れました。

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博士視点。

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ウツギ博士笑う


そしてMVも終盤、少年・少女が歩く道こそが物語になる、と言わんばかりに冒頭「スタンド・バイ・ミー」のオマージュと重なる。と、ここで爆弾が放り込まれる。残すところ制作スタッフさんのクレジットロールのみか、と思ったところ、一人の人物がうとうととして見ているスクリーン、そう、本MVである。そこ(MV越しのMV)に当然と言わんばかりにクレジットロールが流れる。そうつまり、少年・少女の世界でさえ、我々からしたら「虚構」だったのだ。

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おそらく「夢」として描写されるワンパチ。

そもそも虚実の境界は矛盾している

しかしそもそも、虚実というのは曖昧なものである。アニメや映画を含めた様々な創作(嘘)が、世の中(現実)にあふれているように。ポケモンというコンテンツに白熱していた本MVの少年・少女も、映像の中の人物とはいえ、彼らが自分たち(コンテンツを楽しむ人)のメタファーであったことは明白。その事実を咀嚼したうえで見直してみると、例えばジムリーダーをバックに少年・少女が歩くシーン、ジムリーダーたちが「フィクション」、画面越しの我々が「現実」とすると、少年・少女は「半虚構」に介在しているといえる。まるでポケモンという世界観に没入しきっている、我々の象徴のように。

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なにこの分かりやすい絵。



また、例のマッチカット直前のシーン、ラストのうとうとさんも映っているのだが、半虚構であったことを踏まえると、まるで少年がフィルム(ポケモンの世界)の中に入っていくかのように描写されている*1

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ここですここ。



それを裏付けるのが、イーブイピカチュウのキャラクターデザイン。かなり特徴であり、まるでポケモンじゃないような。それもそのはず、ポケモンではないからだ。…とはいいすぎにしても、我々は決してポケモンそのものには触れられないのは事実なので、ポケモンというコンテンツそのものを意味した虚像だったのでは、と勝手に考えてます。

ポケモンは世界中から愛され、様々な人が「体感」するコンテンツになった。ポケモンから楽しさを得ている我々は、最早世界観に没入しているも同義だ、という素敵なメッセージビデオに感じました。

 
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*1:入る前は、うとうとさんと同じ世界、つまり現実