カリーパンの趣味備忘録

視覚から得る情報の雄弁さは計り知れない。

話数単位で選ぶ、2020年TVアニメ10選

新米小僧さんが企画されている伝統ある企画、恐縮ですが初参加させて頂こうと思います。今年から集計がaninadoさんに委託されるそうです。改めてよろしくお願いします。

aninado.com

■「話数単位で選ぶ、2020年TVアニメ10選」ルール
 ・2020年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
 ・1作品につき上限1話。
 ・順位は付けない。 

 選出基準にこれといった偏りはありません。単純に好きな回の選出・感想となってます。

 

 目次

 

ID:INVADED  FILE:06「CIRCLED」

脚本:舞城王太郎 絵コンテ:久保田雄大 演出:久保田雄大 栗山貴行 作画監督:浅利歩惟 豆塚あす香

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電車窓やガラスを介して視線を交わす井波と数田、意識的な想定線の逸脱、そして何より俯瞰ショットで映される、「目的地」を持たない円環線路を走る列車というモチーフ性。
殺人心理の視覚化という挑戦に真っ向から挑んだ今作でしたが、特に今挿話は、サスペンスとしての緊張、そしてその渦中で紡がれる歪なヒューマンドラマとして描かれる叙情の波が、作劇のスパイスとして極上でした。世界観を引き立ててくださった水曜日のカンパネラさんの挿入歌には感謝の言葉もない。本堂町の転換点としても印象的な回であり、プロットの中間点としての役割付けも◎。

 

 

彼女、お借りします 満足度12「告白と彼女 -コクカノ-」

脚本:広田光毅 絵コンテ:古賀一臣 演出:古賀一臣 作画監督:野本正幸、飯田清貴、加藤 壮、時矢義則、ウクレレ善似郎、高橋敦子、平山寛菜

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1話のダッチアングルとの対照性を意識したキメのタイトルロゴが印象的なカット、そしてダイアローグのシークエンスが歩道橋や踊り場の上で繰り広げられるのも、「関係性の転換点」として意識しやすい良い場面設定。
マッチポンプな恋愛劇の中、確実に初期より進展していた関係性を、徹底的な対照性で描くコンテの切り方にひたすら感心させられた最終回でした。2期も是非同スタッフで制作していただきたい。

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僕のヒーローアカデミア(第四期) 第86話「垂れ流せ!文化祭!」

脚本:黒田洋介 絵コンテ:サトウシンジ 演出:池野昭二 作画監督大塚明子、佐倉みなみ、橋本治奈 総作画監督:小田嶋瞳

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今作でよく用いられる「オリジン」という言葉に込められた、ヒーローになる上での目的意識。そういったキャラクター毎の向上心を熱量と理屈で描きとる今作において、耳郎が被っていた逡巡の殻を突き破る描写、またそれに劣らない歌唱曲や、可愛らしい・カッコイイ芝居がふんだんに詰め込まれたクラスメイトのダンス描写は、とてもエモーショナルでした。ヒーローを志す際のイニシエーションとして「人からの後押し」の描写を最も大事にする今作、耳郎の両親→耳郎→エリという伝播するかのような描き方も◎。

 

 

イエスタデイをうたって 第3話「愛とはなんぞや」

脚本:田中仁 絵コンテ・演出 伊藤良太 作画監督:藤原奈津子 渥美智也 松浦麻衣 山野雅明 菊永千里 菊池政芳 海保仁美 菅原美智代 上野沙弥佳 高山洋輔 総作画監督谷口淳一郎

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信号機や標識に仮託された停滞のモチーフ性、晴と陸生の交差する感情を如実に表したかのような、道路に引かれた白線の数々。そういったレイアウト構成にも感心してしまうのですが、そういった記号的な演出はあくまで「演出」にしか過ぎなくて、停滞と前進を何度も繰り返す今作において、この回が紛れもない晴にとっての転換点として描かれていたことが何よりよかった。
想いの強さ故の反発、どこか保身のために逃げ場を作ってしまう。そんな彼女が自ら逃げ場を潰すかのような自己紹介シーンは、まさしく本作のラストと直結する大切な場面として描かれているように感じました。

 

 

乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった… 第11話「破滅の時が訪れてしまった・・・後編」

脚本:清水恵 絵コンテ・演出 井上圭介 総作画監督大島美和 総作画監督補:井本由紀 佐藤香

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この回までカタリナは、どこか身の回りのキャラクターを「破滅を回避する」ためのピースと捉えていたわけですが、前世の疑似体験を経て、周りのキャラクターたちがかけがえのない存在であること≒今の世界(FORTUNE LOVER)が現実であることに気づく描写が良い。
メタ的な話にはなりますが、今まで愛情をフラグと称したりとゲーム的観念に囚われていたカタリナですが、主体的な選択で帰還することによって「第二の人生」感が強まる。
「ずっと見守ってる」。あっちゃんとは今生の別れではない、だから手が虚空をつかむわけじゃなく、指先が触れ合う芝居がとても良い。

 

 

デカダンス 第2話「sprocket」

脚本:瀬古浩司 絵コンテ:立川譲 演出:三浦慧 総作画監督:栗田新一 作画監督:三島詠子

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2020アニメ、リアルタイムで鑑賞していて一番衝撃を受けた回はと聞かれたら、間違いなく今回。
初回の生気溢れる世界観から一転、叙述トリックで描かれるマッチポンプな世界観に度肝を抜かれました。ソリットクエイク社内のサイボーグはカートゥーン調でポップに描かれており、外で必死に生きるタンカーとの皮肉的な対比も痛烈だった。しかしそういったマイナスな対比だけではなく、サイボーグたちの生の活力といえるオキソンを注入しながら、人間に生を実感した「サイボーグ体の」カブラギに「俺は確かに、救われたんだ。」という台詞を委託する脚本がなかなかに憎い。今作が放送されていたクールの中で一番好きな台詞。

 

 

アクダマドライブ 12「アクダマドライブ」

脚本・絵コンテ・演出:田口智久 作画監督:Cindy H. Yamauchi 立川聖治 稲留和美

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ダンガンロンパ」の小高氏らしいケレン味に仕込ませた真っ直ぐな芯、そしてそれをリッチに脚色してくださった田口監督の手腕が一番表れた回。最後まで仕事をこなさんとする運び屋、外を見たいとあがく兄妹、両者の目的のベクトルの方向性の違い、しかし確固たる意志の強靭さが伺える「真逆に走り出す」レイアウトなどに凄く胸を打たれたのですが、かくして固有名詞による役割付けが決められた世界で、「一般人」という、無色故に「何者にもなれる」アクダマが変えた世界。そういえばダンガンロンパも、冴えない少年が強靭な意志で世界を覆す物語だった。
思えばアクダマも、ダンガンロンパにおいて「真っ直ぐな意志」の意である「コトダマ」のもじりだったのだろう。グローアウト演出*1で先の景色を見せない兄妹の背中は、メタ的ではあるが「最後まで意志を曲げなかったものだけが見れる景色」を示唆していたように思う。
Blu-ray最終巻にはディレクターズカット版が収録されるそうだが、上で挙げた理由から、兄妹のその後は描かないでほしい、というのが本音。

 

 

体操ザムライ #11「体操ザムライ」

脚本:村越繁 絵コンテ:宇田鋼之介 演出:清水久敏 宇田鋼之介 大槻一恵 久保田雄大 下司泰弘 吉村愛 作画監督吉田正幸 浅尾宏成 本多みゆき 藤田亜耶乃 斎藤美香 濱田悠示 青木里枝 戸沢東 柴田志朗 松岡秀明 山門郁夫 桑原幹根 村長由紀 崔ふみひで 岡崎洋美 本田敬一 冨永拓生 野崎真一 大津直 Studio Bus

 

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引き際のサムライの勇姿を描きつつ、今まで丁寧に掘り下げられてきたキャラクターたちが、サムライの姿を見てどこを目指すのか、という「個々の到達目標」を30分尺で描き切ったバケモノ脚本回。
スポーツアニメでおっさんに主人公を委託した意図、典型的なスポ根的熱量ではなく、避けては通れない「バトンタッチ」の過程を描きたかったんだよなっていう。だからこそレオや南野の表情芝居、玲ちゃんの大女優への第一歩、若手選手たちが城太郎から何を取り入れることができるかを考える姿が刺さる。計算された脚本、されど全く不快感を感じない清々しさ。

 

 

オオカミさんは食べられたい 第3話「先生の特別なひとりになりたい」

作画監督:山根あおい 平山友理 眠太 辻司

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やはりお世話になった以上、この作品からは逃げられないよな、という理由から漢のチョイス。もちろんプレミアム版も有料視聴。
僧侶枠とかいう僻地で腐らすには勿体ないキャラクターデザインのよさ、謎に気合の入ったHシーン。これだから僧侶枠ガチャはやめられない、今一度この枠の需要を噛み締め痛感させられた神回。

 

 

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完 第10話「颯爽と、平塚静は前を歩く。」

脚本:大和慶一郎 絵コンテ:大原実 演出:佐々木達也 作画監督:北村友幸 清水直樹 谷川亮介 林信秀 劉云留

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思春期の青春、拗らせまくった関係性。そういったもどかしさや気恥ずかしさが、叙情的な撮影処理や丁寧な手・足先の芝居付けなどへ如実に反映されたフィルム作りがなんとも好きだった今作ですが、中でもこの回は、そういった画作りに対して強い意図を感じた回でした。
心の充足を求めるかのように、廊下に差す儚げな月光の撮影処理。肩越しショットで映される雪ノ下に対して、ガラス越しで映される虚像の八幡、この距離感の演出がたまらんのですわ。どうでもいい言葉で埋め尽くされた距離感、その隙間の正体を教えてくれる平塚先生の描写もほんとにいい。思春期の葛藤を乗り越えてきた人生の先輩だからこそ明示できた「好き」へのロジック、そういった意味合いも込めてであろうサブタイトルの「颯爽と前を歩く」という表現も凄く好きな回。

 

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
選出候補として、映像研には手を出すな!、かくしごと、魔女の旅々辺りは泣く泣く外しましたが、コロナ禍とはいえ今年も素晴らしい作品に溢れていました。製作スタッフの皆様には感謝しかない。
今投稿で今年は投稿納めとする予定です。2020秋アニメ総括はまた年明けに別記事にて行う予定です。今後とも「カリーパンの趣味備忘録」をよろしくお願いします。

*1:光を浴びつつ、白飛びしたように消えていく演出

テレビアニメ OP10選 2020

企画初参加です、よろしくお願いします。

・2020年放送のTVアニメのオープニングより選出。

・順位は付けない 

 

1.「彼女、お借りします」センチメートル

歌:the peggies 絵コンテ・演出:古賀一臣 作画監督:平山寛菜

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本編とリンクするかのようなタイミングで挿入される歌い出し・タイトルロゴがとにかく自分にストライクだったのですが、「これから始まるぞ」というスイッチが入りやすい、まさにオープニングとしての役割を最大限に引き出している演出でした。
ヒロインたちのつぶさな芝居を余さず拾うコンテ構成、カットバックで映される届きそうで届かない場所に懸命に走り続ける和也の描写。本編とリンクするかのような、the peggiesさんの歌唱・歌詞に表れたもどかしさのようなものも相まって、非常に好きなOPでした。

 

2.「呪術廻戦」廻廻奇譚

歌:Eve 絵コンテ・演出:山下清悟 総作画監督平松禎史

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膝まで浸水した虎杖のファーストカットから始まり、俯瞰ショットで環状線が映し出されたのちのタイトルロゴの開示。そしてラストカットも、ファーストカットと同様の構図で締める。ファーストカットからラストカットへの帰結は、何となく「Re:ゼロから始める異世界生活」1期のOP1「Redo」を思い出したのですが、とにかく強調される「循環」のモチーフ性。
山下清悟さんといえば「水」を記号的に用いたコンテ構成が印象的ですが、本OPでも、水が自己を映し出す鏡面だったり、はたまた浸水する描写に仮託された「溺れていく」という恐怖感を引き出される演出の数々。しかしその中でも、キャラクター毎の造形の質感(特に髪)や、サビに散見される動的なカメラワークの数々は、記号的になりすぎないような塩梅を感じられ、こういった点も山下さんの信頼できるコンテの切り方だな、と再確認。

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サビ終盤、物語の伏線をオーバーラップでせわしなくチラ見せする演出は、どことなく石浜真史氏感。こういった演出も、本編への関心が高まるよい画作り。

 

3.「マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝」ごまかし

歌:TrySail 絵コンテ・演出:吉澤翠 作画監督谷口淳一郎

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魔法少女まどか☆マギカ」OP「コネクト」をリスペクト的にオマージュしたかのようなコンテ構成。少女たちの愛らしい仕草をしっかりと拾いながら、雨の描写を中心とした、落下する水滴から連想される不穏な雰囲気の演出。記号的に示された世界を、必死で走るいろはをフォローで捉えるカメラワーク。
勿論TrySailさんの可愛らしくも熱のこもった歌唱も素晴らしかったですが、それ以上に無印まどかの良さを再確認できたOPでした。

 

4.「ひぐらしのなく頃に業」I believe what you said

歌:亜咲花 作詞・作曲:志倉千代丸 絵コンテ:小川優樹 演出:さんぺい聖 総作画監督渡辺明夫 作画監督:岩崎たいすけ

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最近の千代丸氏の楽曲は、英語フレーズの挿入などかなりモダンな仕上がりとなったものが多いですが、寧ろフィルム的なブラッシュアップが行われていた今作において、非常に世界観がマッチしている楽曲だったと思います。
断続的なカット転換で意味深な小道具を映す(バットとか)演出も最高にイカしていましたが、この絵コンテを描いたのが異種族レビュアーズの監督かと思うと、頭が混乱してどうにかなってしまいそう。

 

5.「アクダマドライブ」STEAL!!

歌:SPARK!!SOUND!!SHOW!!  絵コンテ・演出:田口智久 作画監督:Cindy H. Yamauchi

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最大限に引き出された外連味、ネオン等の撮影処理にこだわりきったリッチでサイバーパンクな世界観が描き出されたオープニング。なにより注目したいのが、キャラクター毎の手の芝居付けの良さ。
最初にアクダマ達の手がカット転換で映されるのがたまらなく良くて、最早「手」だけでそれぞれ誰か分かるっていう。小松崎類さんのしっかり人物像を捉えたキャラクターの造形の良さ、そして「それ」を信頼しきった田口さんのコンテ。信頼関係がないと切れない絵コンテだよ、これ。凄い。ラストで一般人が手をひっくり返す芝居付けにも、本作の「簡単にひっくり返ってしまう構造」がよく表れてて最高なのよ。

 

6.「Re:ゼロから始める異世界生活 2nd Season前半クール」Realize

歌:鈴木このみ 絵コンテ・演出:小柳達也 総作画監督坂井久太 作画監督大田和寛

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最早1クールの中で半分聞いたかも怪しい、大変貴重なOP。
とまあ冗談はさておき、1期放送当時もニコニコ動画などで「Redo」のアニメーションの逆再生が流行っていたり、MADの素材として多用されていたを思い出しますが、今回のOPも鈴木このみさんの力強い歌唱と、音ハメのフィット感が最高に心地よい。映像に文字を表示するところとか。
早速年明けから後半クールが始まるわけですが、何回OPが聞けることやら(切実)。

 

7.「デカダンス」Theater of Life

歌:鈴木このみ 作画監督:栗田新一

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「噛めば噛むほど味が出る」OPとはまさにこれのこと。OPの重要な役割である「視聴意欲のスイッチング」をしっかりこなしつつ、作品の大まかな世界観の整理・説明、前回までの展開と照らし合わせた上での新しい発見が必ず見つかるようになっている構成。
歌詞・歌唱では「生の実感」を強調させつつ、映像にテクノ調をふんだんに醸し出すという対比が良い。

 

8.「BNA ビー・エヌ・エー」Ready to

歌:影森みちる(CV:諸星すみれ) 絵コンテ:吉成曜 演出:古川晟 作画監督:竹田直樹 2Dワークス:越阪部ワタル

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恐らく越阪部ワタル*1さんと手腕と思われる記号的なデザインの数々がフィルムのモチーフ性を保ちつつ、手描きで躍動的なキャラクターの芝居がしっかりと拾われたアニメーション。
諸星さんの歌唱力もさることながら、影や独特の色彩センスがにじみ出る辺り、やはりTriggerらしさが感じられて、好きなOP。

 

9.「かくしごと」ちいさな日々

歌:flumpool 絵コンテ・演出:村野佑太 作画監督:山本周平

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動きは少ないように見えるが、かなりフィルムの質感の転換が激しいオープニング。
本編中でも徹底して描かれていた過去パートと未来パートの分断。可久士や幼い姫はコミック調のタッチで描かれているが、成長した姫はシャープな線で輪郭が拾われており、背景美術もよりリアルに。
OP映像という短尺ではこれがひっきりなしに切り替わるものだから、時の流れからくる叙情の破壊力が凄まじい。「回想」が物語の軸となる、今作ならではの特色が存分に活かされた良OP。

 

10.「乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…」乙女のルートはひとつじゃない!

歌:angela 絵コンテ・演出:井上圭介 総作画監督大島美和 作画監督:澤入祐樹 大槻南雄

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もう開幕のカタリナのゲス顔から笑ってしまうのですが、ここまで主人公の魅力をオープニング映像で表しきれる作品もそうそうないだろう。もちろんカタリナが持ち得ている圧倒的なキャラクターとしての求心力故にできだ芸当ではあるが、ついにやけてしまうようなカットの数々がとにかく見ていて楽しい。
ベートーヴェン交響曲第5番「運命」の有名な旋律「ダダダダーン」を彷彿とさせるパートの音ハメ、からの次々ページを捲っていくかのような軽快なカット運びで映される多彩なキャラクターたちの描写。作品の魅力を存分に詰め込んだ、面白おかしくも素晴らしいOP。

*1:デザイナー。アニメーションだと幾原邦彦監督作品への参加が多い

【アニメ映画】私の2020アニメ10選

ヨーテルさん(@youteru8457)のTwitterハッシュタグ企画に参加させていただきました。

ルール 

・対象:今年の作品(2019秋から継続含む)

・アニメ関連ならどんなジャンルの10選でも可

・順位はつけない

 今回自分は、「アニメ映画」の枠で選出しました。

目次

 

劇場版 Fate/stay night [Heaven's Feel] Ⅲ. spring song

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©TYPE-MOONufotable・FSNPC

原作未プレイの身としては、1章と2章を理解しきれず、かなり心にしこりを残したまま臨んだ鑑賞でしたが、はるかに予想を上回ってきました。
そもそもノベルゲームの尺を三本の映画に落とし込むという企画に対して最初はどこか不安もあったのですが、寧ろ今作は、息つく暇もないほど激しく波打つような作劇となっており、「情報の圧縮」がかえってフィルムの良さとして表れていたように感じました。リッチな撮影処理や圧倒的作画力で描かれる戦闘シーンの数々、何より「空の境界 俯瞰風景」にて燈子が示した「贖罪の在り方」のアンサーとして描かれる、桜並木へ歩みだす二人の背中。最大限の余韻を演出したラストに、強く心を打たれました。

 

ジョゼと虎と魚たち

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©2020 Seiko Tanabe/ KADOKAWA/ Josee Project

本作はとにかく、「目線を合わせること」に関して、徹底していた。
視線の高低差からなる価値観・景色の違い。そういった意識的なアイレベル・芝居付けに記号的な演出意図は確かにあったものの、そういった演出だけでは表しきれない作品としての叙情が含まれていたことも確か。
リアル過ぎず、しかしフィルムというフィルターを介して、どこか勇気づけてくれるような台詞・芝居付け・描写の数々の塩梅が程よく、気づけば涙が溢れていました。過去作のブラッシュアップとしては、文句のつけようもない佳作でした。

 

羅小黒戦記

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©Beijing HMCH Anime Co.,Ltd

カンフーアクションを思わせる戦闘シーンの芝居付けだったり、やはり中華的な描写も含まれてはいた。本的にも普遍的なテーマではあったのだが、フィルムの中に思想的意図は全く感じられず、寧ろ「ジャパニーズアニメーション」の感覚で楽しめたのが良かった。
勿論それは日本の誇るキャスト陣による熱演もあったとは思うのですが、特にラストでシャオヘイが未来を選択をする一連のシークエンスなんかは、余白を意識した叙情的な撮り方も、どこか馴染みのある描き方で安心できました。

 

劇場版SHIROBAKO

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©2020 劇場版「SHIROBAKO」製作委員会

ミュージカル演出なんかは流石に笑ってしまったのだけど、追いつきたくても追いつけない、けれどずっと眼前に顕現し続けている七福神の描写といい、とにかくフィクションと現実(制作現場)の対比がくっきりした作品だなぁと。フィクションを作る作劇で、その境界を強調するという皮肉。
結局リアルにおいて劇的な変化は簡単に起こらないが、そんなことはお構いなしにページが捲られていく世界の中、奮闘するムサニの制作現場の七転八倒に、面白おかしさを感じたり感動したり、感情起伏のせわしなさが癖になる作品でした。

 

メイドインアビス 深き魂の黎明

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©つくしあきひと竹書房メイドインアビス「深き魂の黎明」製作委員会

際限のない下層へ「潜っていく」作劇の在り方として、高低差をとにかく強調したレイアウト・カメラワークの良さはTVシリーズの頃から釘付けだったわけですが、劇場の大スクリーンを介して鑑賞すると、これまた全く違う迫力で、とにかく冒頭から感心の連続でした。こだわりすぎて年齢制限の負荷まで突き破ってしまった様は、流石に苦笑してしまいましたが(笑)。
かくして下層へ潜るにつれて、よりディープになる個々の探求心。目的のために愛を創作するボンドルド、祝福として彼の体に体現されるプルシュカの「愛」のカタルシスが半端ない。理想ともいえる形で映像化してくださったスタッフの皆様には感謝の言葉もない。

 

魔女見習いをさがして

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©東映東映アニメーション

今作は「おジャ魔女どれみ」未鑑賞で臨んだわけですが、そんな自分でも楽しめるのかといった不安は、冒頭からあっけなく払拭されました。
明らかに意識されたライティング(というより影)の演出は、自己実現の過程において登場人物たちの間にある等身大の悩みの象徴そのもの。魔法の否定を描いたのではなく、あくまでひとつの「フィクションとの向き合い方」を提示した作品だった。子供から大人へのイニシエーションとしてお酒の描写が多かった点もパンチ効いてたなぁ。

 

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クレヨンしんちゃん 激突!ラクガキングダム

 

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©臼井儀人双葉社・シンエイ・テレビ朝日・ADK 2020


「オトナ帝国」の原恵一の呪い以降、「クレしん映画」と「クレヨンしんちゃん」はある種別個のコンテンツに近いと捉えていましたが、今作はくしくも「クレヨンしんちゃんらしさ」を残しつつ、従来のクレしん映画的なメッセージ性の込められていた作品だったように感じました。
特に好きだったのがぶりぶりざえもんとの別れのシーンなのですが、ここで不用意にしんちゃんに涙を流させなかったのは、やはり「ブタのヒヅメ」のリスペクトだろう。さすが京極監督、分かってらっしゃる。それはそれとして「宝石の国」2期、いつまでも待ってますよ監督。

 

どうにかなる日々

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©志村貴子太田出版・「どうにかなる日々」製作委員会

百合、BL、おねショタ。オタク世俗的な表現を使えばおそらくこう形容されるであろう、一風変わった恋愛作劇。
しかしここで重要なのは、あくまでフィルムの中に生きるキャラクターたちは、彼らの主観では「あくまで普遍的な生活を送っている」、ということ。だからこそ街並みの雑踏のファーストカットで始まり、また結も喧噪で締める。また、余白を意識した青空のカットの多さ。意識して演出された弛緩的な雰囲気にとにかく没入できる作品でした。

 

BURN THE WITCH

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©久保帯人集英社・「BURN THE WITCH」製作委員会

今年公開されたアニメーションの中で、「原作から忠実にアダプテーションされた作品は」と聞かれたら、自分は間違いなく今作と鬼滅の刃 無限列車編を挙げますが、好みの話として、こちらのほうが好きでした。
簡単に表と裏がひっくり返る世界、御伽噺の否定を軸に描かれる久保帯人ワールド、その圧倒的なワードセンス・レイアウトがそのままアニメーションとして動き回る様は痛快でした。原作漫画より先に鑑賞したのも、好感触の要因。

 

えんとつ町のプペル

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©西野亮廣/「映画えんとつ町のプペル」製作委員会

視野を妨げているのは紛れもなく自分たち自身というマッチポンプな世界構造。そういった普遍的な本には然程目新しさを感じませんでしたが、今作の醍醐味はやはり、必死に上を見上げようと奮闘するルビッチ・プペルたちの心情とリンクするかのような、俯瞰・アオリカットの数々や奥行き、上下に振られる感覚がなんとも癖になる。
STUDIO 4℃さんの作品は、昨年の「海獣の子供」然りフィルムへの没入度にとにかく力を入れる印象でしたが、今作もキャラクター達と一緒に世界観を体感しているような感覚が良かった。再度鑑賞しに行くことはないとおもいますが、4DX上映等が始まれば行ってみたい気も。

 

 

「さよならを教えて 〜comment te dire adieu〜」感想―救済の有無、自己実現の対極

確か6月頃にDLsite様より購入してちんたら進めていた「さよならを教えて」、ようやっと全ルート読了しました。総括的に一言で感想をまとめると、「救いはなかった」と思う。以下、まず簡単なゲーム概要から。

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www.amazon.co.jp

あらすじ

主人公は教育実習生としてとある女子校を訪れていた。ある日、彼は美しい天使が異形の怪物に蹂躙されるという奇妙な夢を見る。彼が校内の保健医にその夢の相談をしていた時、一人の少女が保健室を訪れる。主人公の見た彼女の容姿は夢の中の天使に酷似していた。主人公は教育実習生としてヒロイン達と親しくなりながら奇妙な夢の真相を探る。 (Wikipediaより)

 

PV


さよならを教えて ~comment te dire adieu~ デモムービー

 

 所謂アダルトゲームとなりますが、その枠に収まるにはもったいないレベルで読み物として優れていると思います。支離滅裂なテキストの羅列を、ストーリーラインに無理矢理整合性を持たせるように並べたような構成で、ある種目新しさもありました。信頼できないというレベルではなく、「全く」信頼できない語り手といっても過言ではないかもしれません(笑)。この作品において重要な要素は、自己実現とは?の1点に尽きると思います。

純文学に精通のある方、信仰心や哲学に詳しい方だと、より作品の世界観にのめり込めて面白いんじゃないかと。特に音楽面は、メランコリーな作品の世界観を存分に引き出した素晴らしい楽曲の数々となっておりますので、気になる方は是非調べていただきたい。

余談ですが、かなり刺激の強いゲーム故このような注意表示が最初に移されます。苦手な方は購入を控えた方がよろしいかと。

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それでは以下、ネタバレありの本題です。

目次

 

 

1.ゲームシステムについて

本作品は2001年発売のゲームとなっておりますが、「信頼できない語り手」トリックが用いられており、テキストゲームならではの工夫がふんだんに組み込まれていて、かなり目を引くものがありました。しかし、こういった手法が主流になってきた現代では、如何せん目新しさの点では弱く感じてしまいました。もっと早くこの作品と出会いたかったなと後悔。
こういった点はビジュアル面でも感じられて、現代の「萌え」に慣れてしまった今となっては特に強い魅力を感じたわけでもなく、プレイしていて非常に歯がゆかった。また、音楽面では、上でも記した通り全く色あせない上々の出来となっているので、是非プレイして直接きいていただきたいものです。

 

2.自己という世界≒殻に籠る主人公

この項が一番本記事で詰めたかった点です。長くなるかも
まず今作では、大きく緋色、黒色、白色の3色のモチーフカラーによって物語が彩られていると感じます。もっと本質的に言うと、塗りつぶされていると言ったほうが正しいか。黒と白は対極で一つだと言えるため、まず緋色から感じられた所感を。
MELLさんが歌唱を担当されている本作の主題歌「さよならを教えて」のサビフレーズ「昼と夜の間で 時間(とき)が止まる 終わりのない 永遠の夕暮れ時」が特に象徴的でしたが、本作の舞台は終始一貫して夕暮れ時が描かれており、妄想からいつまでも抜け出せない主人公、時の牢獄性を象徴する色合いに感じました。余談ですが、「Angel Beats!」も学校&夕焼けという舞台背景セットが印象的で、死から逃れられない人間が描かれるわけですが、牢獄性のモチーフとしては案外主流なんですかね。


閑話休題、主人公のモノローグで特に印象的だったのがこの部分。

僕の知覚の中以外のどこに世界があるって言うんだ?

自己の存在確認なんて、誰にもできはしない。スーパーヒーローだって。

だから僕が世界じゃないか。僕は世界だ。だから僕が世界を救うしかないんだ。 

 この文言は、ヘルマン・ヘッセ 著「デミアンの有名な一節、「卵は世界だ」と対であると言えます。

「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。 卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという」(『デミアン高橋健二訳)

 少女革命ウテナでも引用されているこの一節は、一種の「自己変革」論であると言えます。しかし今作「さよならを教えて」では、徹底的に「自己変革」と対極の位置にいる主人公の姿が描かれており、上に挙げた対比のような節からもそういった点が伺えました。ここで「白」というモチーフカラーが重要となってくるのですが、今作ではさらに二種類の白、精液や便器といった汚い「白」、天使(翼)や主治医の白衣といった清潔の象徴としての「白」の2種類に分類されています。様々な感想サイトで論争が行われておりますが、自分の解釈としては、前者の白は自己を内包する閉塞的な「卵の殻」の象徴、後者は卵の割れ目から除く淡い「光源」そのものを表していたのかなと。当然「黒」は、それらと対をなす主人公の存在そのもの。

 

3.ヒロイン別感想

今作は睦月√以外は基本的に順番を気にせずプレイしてよいと思います*1。以下自分の攻略順で掲載しています。

 

高田望美(たかだ のぞみ)

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「私、飛べるのかな?」(高田望美)

今作のヒロインたちは主人公の「何者にも成れない」苦悩からくる自己投影的存在として描かれますが、彼女は主に夢へ飛翔できないでいる主人公の体現だったと言えるでしょう。彼女のイメージである「カラス」というモチーフ性、ラストで彼女が建物の屋上に書きなぐる”rebirth"(再誕)という文字も、上であげた「デミアン」との対比のイメージを一番感じたヒロインでした。

特に印象的だったのは、主人公の吸っていたたばこに興味を示すシーン。単純に興味をそそられているような描写は可愛げで、それでいていつまでも「子供」であることにしびれを切らした彼女の決別したいという気持ちが切に表れた場面でもあり、心をえぐられました。

彼女は特にそういった内面に抱えた苦悩が強く伺えたため、どの√でも救いがなく非常にショックでした。しかしそれは同時に主人公も救われなかった(飛べなかった)ことを表すため、必然的な悲劇だったんだと思います。無念。

 

目黒御幸(めぐろ みゆき)

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がすっ、がすっ・・・
何度も、何度も、僕は御幸の頭を机に叩きつけた。
何度も、何度も、僕は御幸の頭を机に叩きつけた。
何度も、何度も、僕は御幸の頭を机に叩きつけた。
何度も、何度も、僕は御幸の頭を机に叩きつけた。
何度も、何度も、僕は御幸の頭を机に叩きつけた。
何度も、何度も、僕は御幸の頭を机に叩きつけた。
何度も、何度も、僕は御幸の頭を机に叩きつけた。
何度も、何度も、僕は御幸の頭を机に叩きつけた。
何度も、何度も、僕は御幸の頭を机に叩きつけた。
何度も、何度も、僕は御幸の頭を机に叩きつけた。
何度も、何度も、僕は御幸の頭を机に叩きつけた。

 一言で言い表せば、もの静かな博識少女というありがちな役割付けのヒロインでしたが、今作においては、まさに一番自己投影が如実に表れていたように感じました。勉学に対するコンプレックスだとか、コミュニケーションに苦悩する姿なんかは特に、自身にも思い当たる節もあり辛かった。

そして今作は、自己の破壊の象徴として、必ず主人公が全ヒロインに暴力的な行為をするシーンがあったのですが、上で引用した主人公のモノローグからも伝わるように、彼女に対しては特にその傾向に過剰さが際立っていたように感じました。高圧的な態度を表面に表すヒロインでしたが、同時に主人公の異常なまでのプライドの高さも印象付けられました。

博識少女という設定上、他の創作を引用したヒロイン毎の解説(狂言回しに近い)が全√に必ずあって、本ゲームのライターが伝えたいことの代弁的な位置づけだったことも印象的だったか。眼鏡好きは要チェック

 

田町まひる(たまち まひる

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「どうして、まひるのことイジメるの?」(田町まひる

 作劇に一貫して流れるどす黒い雰囲気の清涼剤的な役割かと一瞬期待しましたが、決してそんなことはなかったです。いや、知ってましたけどね(泣)。過去の心的外傷と戦う主人公と、終始可愛げな仕草で振る舞う彼女の描写は、くしくも許しを請う主人公の姿そのもので、表面上は明るい場面も全く癒したり得ない悲しさ。

一般的なゲームにおける幼馴染的なキャラで序盤こそ愛くるしい姿とBGMが作劇の緩和剤となっていたが、案の定終盤は痛々しい(物理)場面のオンパレードで落差が辛かった。彼女は明るくとも、主人公を赦してくれる存在などいなかった

自分の好みではありませんでしたが、おそらく作品中でもかなり人気のあるキャラだったのかなと思います。

 

上野こより(うえの こより)

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「そのヒクツさはぁ、すでに傲慢ですよぉ」(上野こより) 

 個人的に一番好きなキャラでした。気怠さを隠そうともしないゆったりとした口調や楽観的な性格はまさに自分のツボでしたし、およそ学生のものとは思えない豊満な体つきの官能的なこと。上記3ヒロインは何らかの側面における主人公の自己投影的存在でしたが、逆に彼女は主人公の対極として描かれていました。根詰めて考え込んでしまう主人公、どこまでも楽観的なこよりの描写など。

豊満な体つき、という点も決して意味がないわけではなく、主人公が彼女とのコミュニケーションにおいてたじろぐ要因となっており、くしくも主人公の女性に対するコミュ障っぷりを描き出していました。この辺りも感情移入しやすかったかなと。

楽観的な思考だったという点を強調しておりますが、だからこそそういったキャラに上で引用したようなセリフを言わせる(仮託する)ライターは、やはり今作の魅せ方を分かってるなぁと感心した場面でもありました。お見事。

 

巣鴨睦月(すがも むつき)

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「そうです。あのコが僕の畏敬する天使様なのです」(主人公) 

 まずプレイした感想として、彼女を「天使」と位置付ける点がやはりまた唸らされる。彼女は上記5人中唯一の実在するヒロインであり、また「再び飛ぶこと」を赦された存在だったのだなと。

この作品における、所謂「トゥルーエンド」の位置づけを敢えて定義するならやはりこの√なのですが、それにも関わらず主人公は他の√と全く同じ終幕を迎えるのが印象的だったなと。「CHAOS;CHILD」をプレイしたときも思ったのですが、やはりプロットのよいゲームは√の位置づけ(というより”トゥルー”エンドの在り方)から違うなと唸らされる。睦月は飛び上がったとしても、自分を赦せなかった主人公は結局同じ終焉をたどる。

別√ではモノローグで完結させていた一人の狂いに狂いまくった殻の中の雛が、皮肉にも異質なダイアローグによって一人の少女を救済した。主人公に救いはなかったが、我ら読み手には少なからずしっかりとした余韻が残った。

 

4.最後に

あまりガッツリは取り上げませんが、最後に作中で用いられた「スーパーマリオ」の話から思ったことを少々。

大森となえ*2「幻覚キノコを食べて、身体が大きくなる・・・・

    花を取ったら火が吹けて・・・・

    大麻のさ、一番キクところって知ってる?

    トップっつってね、要するに花なんだけど」

 

主人公「僕がマリオなら、誰かが操作してるはずなんだ!」

 もちろん某任〇堂様のゲームにこんな事実はなく(笑)、いもしないピーチ姫(≒ヒロインたち)の救済に奔走する主人公を咎めるとなえさんの台詞なんですが、主人公にここまで(ゲームとして)メタ的な台詞を仮託したことにもやっぱり意味はあると思ってて。「信頼できない語り手」的演出として主人公がプレイヤーの選択肢と全く違う行動をとる描写もあるのですが、この作品における主人公とプレイヤーは全くの別人なのだ。だからこの作品に救済はなかったと捉える人もいるし、一人の少女を救ったという事実に安堵する人もいる。個人的な意見としては前者だが。

「主人公の操作」という枠から切り離される作品に対する相対性、解釈の多元性は、紛れもなく今作をカルト的ゲームたらしめる要因だったと思う。

 

©VisualArt's/CRAFTWORK

*1:睦月√はラスト推奨。

*2:作中の登場人物、スクールカウンセラー。女性でヒロイン枠に近しいが√は無い

「クリエイターの創造から生まれるアジテーション」―Newtype 12月号 感想

Twitterで軽く所感を呟く程度にとどめようど考えていたのですが、雑誌を読んでいるうちに思うところがとめどなく膨らんでいって、こうしてブログを執筆している次第です。アニメを含め創作と向き合うにあたって、「面白ければいい」から「制作者さんの工夫を知りたい」へと転換しているんですよね。日に日に。勿論「楽しければいいじゃない!」という感覚は大事だと思うのですが、クリエイターの方々の工夫で見えてくる創作の多彩な側面をしっかり咀嚼していきたいなと。とまあ詭弁はこの辺にして感想を。異様に長くなってしまったので、目次から気になる項だけでも読んでいただければ幸いです。

 

ニュータイプ 2020年12月号

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  • 発売日: 2020/11/10
  • メディア: 雑誌
 

 

 目次

 

劇場版「鬼滅の刃」無限列車編 ―劇伴によって引き出される感情の共鳴

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まず初めに率直な感想を述べますと、原作未読で臨んだ身としては感情移入がしやすい本とは言えなかったなと。今作はTVシリーズ時より、原作からの忠実なアダプテーションがファンから評価されておりましたが、弊害として、感情の咀嚼を阻害するレベルのモノローグ解説の多さは映像化されたことにより悪目立ちしてしまったし、なにより週連載によって丁寧に掘り下げられていた「煉獄杏寿郎」の人間性を、映画尺の中で描き切ってしまった(時間は伸縮しない)点も、イマイチ本の情感に入り込みづらい一因でした。
とはいえ、リアルを追求した3DCGによる背景美術の上から、リアリティ溢れる繊密なセル画で描かれた炭次郎をはじめとする鬼殺隊の面々は、奇しくも「人間VS鬼」という今作のテーマ性を象徴するようで素晴らしい画作りだったし、劇伴による感情への相乗効果の圧倒的高さは、評価されるべき要素だと思います。
と、ここまでが映画のみの感想でしたが、Newtype 12月号にて、劇伴を担当された梶浦由記氏・椎名豪氏のインタビューが掲載されていて、また改めて作品に対する印象が変化しました。

TVシリーズからの制作体制の変更点を質問されて) 
椎名「基本的には変わっていません。ufotableさんの作品はTVシリーズでも、劇場版でもフィルムスコアリング(映像に合わせて音楽をつくる手法)が多いんです。

 

 梶浦「ufotableさんは映画のなかで「音楽を聴かせる場所」をつくってくれるんです。音楽の効果を考えて、映像をつくってくださることはとてもありがたいですし、そういうシーンの音楽をつくるのはプレッシャーもあります。でも、音楽のつくりがいも大きいんですよね。」

 フィルムスコアリングという手法は音楽手法に疎い自分は初めて知りましたが、必ずしも音楽→映像の順番じゃないんだなと。ここまで読んでなんとなく思い出したのが「天気の子」公開時インタビューにて新海誠監督の「RADWIMPSさんの音楽が輝く瞬間を、この映画が最も輝く瞬間にしたい」という発言、今作「鬼滅の刃」の制作スタッフの熱量と合致している気がして、自然と感動してしまったんですよね。
ここでもう一つ、最近鑑賞した作品であるため記憶に新しい「劇場版「空の境界」 俯瞰風景」。

 

劇場版「空の境界」 俯瞰風景 【通常版】 [DVD]

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  • 発売日: 2008/05/21
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同じく梶浦由記さんが音楽を担当されていますが、浮遊する意識と地に足をつける両儀式の戦闘シーン、シークエンスの持ち合わせる熱量に呼応するように盛り上がる劇伴は、まさしくフィルムスコアリングによって制作された劇伴ではないだろうか。動きのある作画や迫力際立つ撮影処理の数々も圧巻でしたが、劇伴に関しても、作品を裏から引き立てるというよりは、むしろ「一番作品で輝いていた」要素ではないだろうか。
鬼滅の刃 無限列車編、鑑賞時は漫画から映画へとアダプテーションする過程においての欠点が露呈した作品のように感じましたが、クリエイタ―の方々の工夫を知った今、むしろ「映像でしかできない表現」の良さを改めて知ることができた作品でした。

 

魔女見習いをさがして ―延長線上ではなく、「リアル」を描いた意味

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自分は所謂「おジャ魔女どれみ」は全くの未鑑賞で、作品におけるキャッチコピーやTwitter・ブログのレビュアーさん方の「おジャ魔女を見てない人でも楽しめる」という後押しのもと今作の鑑賞という決断に踏み切りました。さすがに第一シリーズの1話を見てから鑑賞に臨みましたが。しかし「おジャ魔女」の映画であるということで以前から期待を寄せていたファンの方々からすると、キャストやあらすじが公開されるにつれて「どれみちゃん達のその後を描かない」という制作陣の決断は、少なからずショックを受けたのかなと思います。
とそんな感じの第一印象を受けながら鑑賞した今作「魔女見習いをさがして」、まず最初にフィルムの特色として印象に残ったのが、かなりパッキリとした陰影による画面レイアウトの断面。光影の演出によって付けられた影の境界線がかなりくっきりと引かれてるんですよね。影絵的に表現されるどれみ達、魔法玉に映るハイライトの消失、関係性の亀裂を象徴するような影によって引かれる境界線。シークエンスによって表現の仕方は様々でしたが、徹底して現実と魔法の乖離が描かれているように感じました。Newtype 12月号、監督・佐藤順一氏×プロデューサー・関弘美氏インタビューにて、両名はこう綴ります。

 (どれみを見ていたファンを描くのに、キャラクターデザインを「どれみ」調にした理由を質問されて)

関「確かに実写寄りにすれば、とおっしゃる方もいました。でもそうすると、実写とアニメの世界に優劣ができてしまう気がしたんです。メタに立ちすぎるというか、それはこの企画がめざすものとは違う。」

 

佐藤「子供のころに見た作品からもらったものって、大人になってからも残っていると思うんです。<中略>たとえ番組の内容は忘れてしまっても、ふと思い出すことがある。この映画が、そんなことを意識できる作品になって欲しいですね。」 

 今作は「おジャ魔女どれみ」を創作として享受する人物たちが描かれるわけですが、ここで実写などの決断に踏み切らなかったのは、あくまで「どれみらしさ」を尊重したい制作陣の思い入れの表れでもあるのかなと。ともすればキャラクターデザイン(馬越氏)の頭身が一貫してどれみ調で描かれていたり、あえてアニメーション的な「くずし」をふんだんに詰め込んだコンテ構成も納得のいく判断だなと。それを踏まえて上に挙げた光影の演出にしても、現実と魔法の断絶をメタ的に表したものではなく、自己実現の過程において彼女たちの間にある等身大の悩みをフィルムとして表現したものなんだなと改めて思い直しました。だからこそラスト、それまで影として描かれてきたどれみ達が色彩豊かな姿でMAHO堂に顕現するかのような演出は、「いつでもそばで応援しているよ」というクリエイターからの、ひいては作品そのもののメッセージのように感じられて、筆舌に尽くしがたいほどの叙情に駆られ、どれみ達を知らない自分でも涙腺に来るものがありました。

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今作で描かれていたのは、魔法の否定ではなく、あくまでひとつの「創作への向き合い方」の道を示したものなんだと、クリエイターの方々の工夫に触れることで改めて思い直すことができました。

 

GOTCHA!―リアリティは時にリアルに昇華する

今月号のNewtype購入に踏み切った理由のひとつがこれ。こんな素晴らしいMVを制作してくださった方のインタビュー、これは是非読みたいなと。知らない方のために詳細、YouTubeにて公開されたポケットモンスター×BUMP OF CHICKENによるスペシャルミュージックビデオです。リンクもそっと添えておきます。


【Official】Pokémon Special Music Video 「GOTCHA!」 | BUMP OF CHICKEN - Acacia

感想や考察に関しては以前別記事にてかなり詰めたため、本稿ではインタビューを読んだうえでの補足的感想をチョロっと呟こうかなと。下に別記事のリンク貼っておきます。

 

karipan.hatenablog.com

 個人的に嬉しかったのが、上記記事にて予想していた、中村豊さんの担当カットが的中していたんですよね(笑)。表情から表情への流れるような躍動感あるカット運びは、やはり彼だからこそ描けるかっとだよな、という。
本MVを担当したアニメーター3人のインタビューでは、やはりキャラクターデザイン・作画監督を務められた林祐己氏のお話が印象的でした。

林「基本的に、奥にある「ポケモン」世界と手前の現実世界の2つに分けて、「ポケモン」世界のほうはゲームに準じたデザイン。手前は「ベイビーアイラブユーだぜ」*1とか、これまでの松本作品のテイストに近づけたデザインでいく、という話でした。

 これだけ聞くと、上記の「魔女見習いをさがして」と通ずるものが感じられますが、ここで大事なのは、現実世界の描写はよりリアリティを持たせている点。ポケモン世界と現実世界、この境界がしっかりとキャラクターデザインの頭身に対比的に表れています。こういった世界観にするという決定を下した監督・松本理恵さんのポケモンに対する思いをつづったインタビュー記事も、是非購入して読んでいただきたいものです。

 

©吾峠呼世晴集英社アニプレックスufotable

©東映東映アニメーション

*1:菓子メーカー・ロッテの創業70周年を記念して制作されたショート・フィルム。BUMP OF CHICKENの「新世界」に乗せ、ロッテの商品をモチーフにしたキャラクターたちが次々と登場。今作「GOTCHA!」と同制作スタッフが多い

「神様になった日」 7話感想―卵の殻(世界)、内から割るか?外から割るか?

神様になった日 7話。6話にて登場したCharlotteの高城君ですが、話題性の確保のみが狙いではなく、案外テーマ性に連結があるのかな、と思わせる挿話でした。
まず今回の話を自分なりに解釈するにあたって流石に触れておきたかったのが、本話中でひなが歌唱していた麻枝氏作詞・作曲の「Karma」。ここでまた安定の謝罪となりますが、麻枝信者ではない故楽曲の存在すら知りませんでした(教えてくださったTwitterの皆さんありがとう)。しっかり楽曲を鑑賞してきました、とりあえず歌詞をお借りします。

作詞・作曲:麻枝准 編曲:ANANT-GARDE EYES 唄:Lia

卵でさえ上手く割れない そんな不器用なきみなのに
この世界を救えるという その身を犠牲して

今では誰もがきみのこと まるで英雄のように見立てて
きれいな服を着せたりして はだしのまま逃げてくる

何もできないきみだって 僕は好きなままいたよ
運命というものなんて
信じない いつだって 理不尽で おかしくて
きみだって 笑ってやれ こんな理不尽を

寄せては返す光を背に 楽しげにきみは歌ってた
波音を言い訳にしても 音はとれてなかった

きみからはすべてが欠けてて それゆえすべてと繋がれる
いのちになれるということ 僕もいつか気づいてた

贅沢なんかいわない 悲しみだって受けるよ
だから君という人だけ
ここにいて ずっといて 僕から 離さないで
どんなことも恐れず 生きていくから

初めて見せるような顔で きみは歩いていった
その運命を果たすために

何もできないきみだって 僕は好きなままいるよ
運命というものなんて 僕は決して信じない
卵も割れなくていい いくつでも僕が割るよ
歌が下手だっていいよ こうして僕が歌うよ

Requiem for the air Requiem for the river
Requiem for the wind Requiem for the light
Requiem for the forest Requiem for the sun
Requiem for ther land and the ocean

Requiem for the heaven Requiem for the heaven
Requiem for the heaven
僕は走る
Requiem for the heaven Requiem for the heaven
神をも恐れず

 一旦歌詞は置いといてまず本編、前半は劇中劇を制作するシークエンスと、これまた物語における世界の二重構造を彷彿とさせる内容でした。余談ですが、毎回TVゲームシーンを必ず挟むのも意図的でしょうね。と、そんなTVゲームシーンにて早くも確信めいたセリフが飛びます。

伊座並「なぜ分子レベルで崩壊したものを、わざわざ再構築してあげるの?」

―神様になった日 7話より 

 うーんここにきて量子力学、「ノエイン」やら「ゼーガペイン」をおっぱじめる気か?とも。ともあれ量子力学による存在証明、Charlotte 1話でも語られていた「我思う、故に我あり」、デカルト方法序説だろう。自分自身を含めた全てのものが偽りのものであったとしても、その疑っている自分自身の存在を疑うことはできない。「STEINS;GATE」でいうアルパカマン(1話より)が考えとして近いですね。

こういった点を踏まえた上で見返す7話ファーストカット、被写体深度*1を転換させる演出で、金魚(≒成神たち)が鉢(≒仮想世界)からみた世界のぼかしを表していたようにも思える。金魚鉢の側面は屈折しているから金魚は外界が歪んで見えているが、金魚と自分たちの見ている世界が違うからといって、それが観測上のリアリティーの証明にはならない(自分たちもまた、歪んだフィルターを通して世界を観測している可能性を否定できない)。

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金魚→成神への意識的な被写体深度の移行

そういった不確定な世界に生きる中でも、ひなから成神への意識変化は間違いなく本物だったのだろうと思わせる、一連のシークエンス。こういった意図的なアイレベル*2の下げ方や丁寧なひなへの芝居付けなども、そういった想いを印象付けるようなフィルムのように映りました。

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PANダウンからの、口元の芝居がまた良い。

ここでKarmaの話に戻ります。歌詞としてはよくある献身やら自己犠牲やらの絡む、所謂「セカイ系」の物語。しかし、今回の挿話と結び付けるにあたって、やはり外せないのが「何もできない君だって 僕は好きなままいるよ <中略> 卵も割れなくていい いくつでも僕が割るよ」の一節でしょうか。メタファー的には、ここでいう卵の殻は世界そのもの、繊密なセル画によって不愛嬌に描かれていた散乱する卵の中身はひな自身(名前の由来は鳥の「雛」から?)、と個人的に捉えました。

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この辺りまで連想してまず最初に浮かんだのが、ヘルマン・ヘッセ 著、「デミアン」の有名な一節。

 「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。

  生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。

  鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという」

(『デミアン高橋健二訳)

 このフレーズはいわゆる「自己変革論」、自分を囲う殻(自閉的な世界)を自ら破壊せよ、と説いている。それに対し「Karma」の歌詞では、「割れなくていい、僕が割るよ」というように、他者からの手助けという外的要因が提示されている。おまけに「何もできない君だって、僕は好きなままいるよ」というデミアン完全否定付きである。

 

もちろんどちらが正解とも言えないし、どういった思想がバイブルとなるかは人それぞれだけども、少なくとも成神が世界を犠牲にしてひなを救う、騎士道精神(ちょっと違うけど)的な話になるのかな、と勝手に予想。メタフィクション構造は好みだけど、どうも面白いと言い切れないのが正直なところ。遂に半分もきって、ぼちぼち大きく舵を切りだすところではないだろうか。

 

©VISUAL ARTS / Key / 「神様になった日」Project

*1:写真の焦点が合っているように見える被写体側の距離の範囲のこと。アニメでは主に、ピントの合わせ方を指す。

*2:人が立った状態での目のあたりの高さ。ここでは、カメラを構える位置(高さ)を指す

「神様になった日」5話―死後の世界に陶酔する人、引き戻す麻枝准

こんにちは。
神様になった日」5話、この辺りで確信めいてきましたが、どうやらストーリーラインの整備より、麻枝准(以下敬称略:だーまえ)氏が、言いたいことを作品に乗せるのを先決としているため、メタ目線で鑑賞すると楽しい作品かな、と思えて来ました。勿論今後の展開にもよりますが。「ヴァイオレット・エヴァーガーデンを思い出す」旨の感想をよく見かけましたが、個人的には「週刊ストーリーランド」の挿話の一つ、「天国からのビデオレター」に酷似しているなと感じたので、レンタルなりして鑑賞することをオススメしておきます。

 

週刊ストーリーランド ベストセレクション(1) [VHS]
 

 

さて、まず今回でビビっときたのが、オカルト&超常SFでも鉄板ではあるのですが「生者と死者のダイアローグ」という一連のシークエンス。生者と死者の交信なんて、これもうAngel Beats!ですね、分かりますってなっちゃう早漏っぷり。人によって何を感じるかはそれぞれなのでご愛嬌ということで(笑)。

閑話休題、まず「いや、死者はひなが演じた偶像ではないか」という点ですが、自分はこの点に対してあまり問題視していません。というのも、Angel Beats!での死の描写のライトさからも分かるように、だーまえの死生観というのは「死から何を生かすか」だと考えてる。結果的に伊座並家が「本物」のメッセージを受け取るわけだし、件の通話シーンもそのきっかけに過ぎないと思うのでアリかなと。

というわけで通話シーン、ここで重要なのが、ひなが「電話ボックス」で通話している点。神様になった日の世界は現実と仮想に乖離している、という考察をされている方をよく見かけていて個人的には肯定も否定もしていなかったのですが、このシーンで上記考察がより現実味を帯びた気がします。

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数年前に日本でリバイバル上映も行われた快作「マトリックス」、その際にTwitterにて行われた一般公募キャッチコピーの企画で、マトリックスの新キャッチコピーとして「電話ボックスまで逃げろ!」となりましたが、本作では現実世界と仮想世界を繋ぐパイプとして電話が用いられます。神様になった日5話における生者と死者の世界という二重構造に通ずるものもありますし、マトリックスでは「現実への帰還」の際に電話ボックスを利用するため、今作も似たような演出意図があったように思います。Angel Beats!は死後の世界が舞台の作品ですが、よく「Angel Beats!の続編は作らないのか」旨のファンコメントを見かけます。自分はABが好きだからこそ続編はあるべきではないと思うし、P.A.WORKS×Key新作発表のネット特番の際もこういったコメントで溢れる事は十分承知していたので、チャットはオフにしてました。今回の話は、そういった「死後の世界」に陶酔し切った人々に喝を入れる挿話に感じました。

ともすればそう解釈できる点を、フィルムの絵づくりからも感じました。Angel Beats!の世間一般でいう名シーンでは、そもそも基本的な舞台設定が屋外ですし、夕焼けをモチーフ的にした逆光の構図は、図ったかのようにエモーショナルな情感を映し出していました。ああいった切なさに振り切った演出は、言葉の綾ではありますが「死後の世界からの今生の別れ」を表しているように感じました。

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さり気なく対比になってるのがまた。


対して今作「神様になった日」5話では、舞台背景が家庭内であり、かつ日中の出来事だから日光がそのまま順光的にキャラクター達を照らす。伊座並母の「忘れて、処分してね」というセリフも象徴的で、そんなことは不可能であるとわかったうえで、死を意識するのでなく今ある生を享受して欲しいというメッセージに感じました。だからお墓参りのシーン挿入、またメッセージ処分について明示しなかったのも正しいと思う。

 

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伊座並自身の描かれ方も、凄くフィルムとしてよかった。今回の絵コンテは篠原俊哉さん。例えばこういった、伊座並の表情芝居を際立たせるような、動的なトラックアップ*1演出。篠原さんはCharlotte 12話「約束」の絵コンテも担当されていますが、この回でもラストカットが特に印象的で、乙坂の視点を意識した動的なPOV*2演出。空を映すだけならPANアップ*3でもよさそうな気がしたのですが、あえて動きを付随する。両回とも特別動きの多いシーンはなく、どちらかというと静的なフィルムだったんですよね。だからこそ一貫した静寂を崩すような演出は、キャラクターたちの心情に寄り添うような、非常に印象的なカメラワークに感じました。

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伊座並の電話シーンの、自然と手に力がこもったり不意に立ち上がる感情芝居、ラストシーンで肩呼吸をする芝居の繊細さなんかも、Angel Beats!ラストの音無の芝居なんかを思い出してセンチメンタルな気分になりました。

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そして終始伊座並が下座(左側)、成神が上座(右側)で描かれていた物語も、ラストの会話シーンで遂に想定線(イマジナリーライン)を逸脱する。二人の関係性は進展せずとも、伊座並の確かな変化が描かれていて良かったです。

 

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伊座並が上座側へ、変化の象徴

神様になった日ネット特番にて、石川由依さんに対して「好きなアニメで出演されてたのチェックしてました」と興奮気味にだーまえが仰られておりましたが、今回の話を見た限りだとやはりヴァイオレット・エヴァーガーデンのことだったのでしょう。ただ一見オマージュ的なフィルムでも、伝えたかったことは全く違うのではないか、というのが今回言いたかったことです。こういったメタフィクション的な構造を続けていくのだろうか、というのは一つの疑問ですが。とはいえ、かの幾原邦彦氏も、セーラームーン世代を夢から目覚めさせるために筆を執るように、自分が伝えたいことをある程度作品に乗せるのもありだとは思います。ともあれ今回の話は、ある種Angel Beats!のアンサーフィルムのように感じ、興味深いものでした。

 

©VisualArt's/Key ©VisualArt's/Key/Angel Beats! Project

©VisualArt's/Key/Charlotte Project ©VisualArt's/Key/「神様になった日」 Project

*1:被写体にカメラが近づく技法。T.Uとも

*2:ポイントオブビューの略。主観カメラ。一人称的カメラ。

*3:カメラを上に振る、縦移動。ティルトと同義。